とゆー訳で、なんで「占星術」かって話をちょいと書いとく。
俺がこの方面に興味を持った当時、まだ「この手の」文献は書店に殆ど出回っていなかった。
存在していなかった訳ではない、「それなりの」書店に行けばちゃんと売っていた。だが、
そこらの本屋では殆ど入手不可能だったのだ。何故かと云えば、こうした本は「陽光の下で」
大っぴらに眺められて良いものではなかったから。即ちそれが正式な学問としては認められて
こなかったが故に。とはいえ、一握りの人間によって秘そやかに着実に育まれてきた「それ」…
「神秘学」という名の、いってみれば「あちら側」の知識の突ッ端に俺が初めて触れたのは、
この「占星術」の入門手引書を開いた時だった。
…あれから××年。不思議というべきか、当然というべきか。一般書店の片隅に「占いコーナー」
の名目で種々雑多の星占い関係本が置かれるようにはなった。占法も勿論、各々特色を持たせた
新しいものが目を引く。…だが、ここに在るのは本来「あちら側」のものなのだ…という「暗黙の前提」
「暗黙の了解」が、何時の間にか置き忘れられてしまっていると思えてならない。それへの「畏れ」…
とはいわんが、少なくとも「謙虚」な態度はとっておいてもいーんじゃないか。
…こんな調子で書いてくると、なんか俺がオカルティストと思われそーだが、多少どころか全然違う。
唯物論よりは観念論の立場に立つ者ではあるが、それはあくまで「無かりしと謂うが有りき証」を信奉し、
何よりも「色即是空」「因果応報」を、E=MC2、並びにエネルギー不変の法則と理解する者だからである。
如何に怪しげなものと見えようとも、それが「確固たる何か」であるなら、必ずそれは合理的である筈なのだ。
それがこの世界の成り立ちであろう、それが「表」であれ「裏」であれ。
…えらく、話がそれた。「占星術」の入門手引書を前にして、俺の心中に訪れた様々の想いを
今の自分から振り返って見ると、こんなことになる。勿論、ここにはそれ以後、自分にとっての
「それは何なのか」という自分なりの答えも用意されている。…それを明らかにする前に、
ひとつこの「星占いのやり方」をここに呈示してみよう。その「手続き」が、結構ヒントになるような気がするから。
…というところで、以下次号。(こーゆー「引き」を昔からやってみたかったのよ…)