追憶の中に佇む彼女は…
                           [ときどき私は 〜 石川セリ]


  一つのレコードを買う時、そこには何かしらの想い出と思い入れがつきまとう。
  彼女の声を初めて聞いたのが何時の事であったか、それは全く記憶にない。多分、深夜放送を聞いている最中、ウトウトとしかけた耳の中で、イヤフォーンから密やかに流れ出してきて、私の頭の中に浸みこんでいった事があるのだろう。そしてその時の曲目は…まず、絶対に間違いがない… 「八月の濡れた砂」である。
  確かに、あの曲は素晴らしかった。あの、恐ろしくラフな映画のラストシーンで(といって、あの映画を見たのは、それからずっと後の事、もう一年半も前ではあるが、初めてセリを聞いてからは、二、三年も経ってからの事だ)エンディングナンバーとして流れるあの曲が、あの映画の全てをひっくるめてしまう…そんな感覚が、私にセリの事を忘れさせなかった。
  一昨年の夏、私はバイトで、暑い東京の住宅地を歩き回っていた。昼飯時になり、不図入った小さな珈琲屋で、私は再びセリに出会った。
  それはカセットだったと見える。その店のマスターの趣味ででもあろうか、焦だたしい想いで珈琲を啜っていた私の耳に、それは不意に飛び込んできた。ボンヤリと、食後の予定などを考えていた私を現実に引き戻したのは、彼女の「朝焼けが消える前に」だった。
  彼女の声はその後も続いた。とりわけても、その時の印象に残っているのは「虹のひと部屋」「Sexy」「フワフワ・WowWow」など、彼女の名を一定普遍化せしめた曲ばかりだったのだが…
  彼女はソングライターというよりはシンガーである。しかし過去の歌謡界に、この類の歌手が存在したことはかつてない。つまり、周囲から寄ってたかって作られていったのではなく、様々なライターの手仕事の“最終段階”を担いつつ、自分自身を作り上げていったという、その経歴自体が特異な存在なのだ。
  それにしても、この色っぽさはどうだ。少女から女へ、いや、少女と女の双方の魅力が混淆しながら、まさに「いい女」としての雰囲気が、その声の隅々にまでにじんでいるではないか。しかも、当人はそれを自覚しているのかいないのか、そこまでもが曖昧模糊としているのだ。
     優しさの似合う女に
     いつになったら、なれるのかしら
     出会った時と同じドアから
     さり気なく出てゆけるような……(優しい関係)
  そんな中で、NHKの少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密」のテーマになった「遠い海の記憶」… この感覚が、果たして小中学生にわかったのだろうか? 今でこそ、ハッとならずには聞けないが、当時聞いた時には、別に何の感慨も持たなかった。NHKは一体何を考えて、彼女を抜擢したのだろう?……

                                                                    (1979.1.21)