「映画」でも見に行かないか?…

[Purple Rain 〜 Prince]


 申し訳無いが、俺の見た映画てのは「どーでもいい奴」ばかりだ。
 …そー書いたとこで、まず俺にとって「どーでもいい」とは、どーゆーものであるのかを書いておいた方がいい。余計な誤解などしてもらいたくないとゆーよりも、自分の過去の体験に照らして、俺が思わず「どーでもいい」と評したものこそが、俺にとって「決定的な」ものであったとゆー、…まー、反語以上のものがあるからなのだ。
 まず…何らかの意味で「見るに耐えない」。そして、その内訳は不味いからではなく、「いたたまれないから」である事が殆んどだ。「余りに通俗的」とか、「平板」とか「ありふれすぎてる」とか、その「いたたまれなさ」は大部分において、マイナスの評価である事が多い。だが…どっこい、俺はそれをそー感じてしまう自分に向けてしまっている。その、ことごとく。
 そして、自分をそー仕向けてしまうキッカケは、その中で奏でられた一曲のメロディである事を、俺は否定しない。思い出してみよう…
 「八月の濡れた砂 〜 石川セリ」がそーであるし、「時をかける少女 〜 原田知世」も例外ではない。あの「ヤマトより愛をこめて 〜 沢田研二」でさえもそーである。となれば…
 この「映画」など、最たるものだ。如何にもありがちなストーリー…何処へ向けていいのかわからない主人公の「ワガママ」と「苛立ち」、そしてその父の「自裁」(立原正秋ばりに)、更にその後に主人公が得た「歌」。
 …それだけに、その余りに「平板」で、「通俗的」で、「殆んど何事もうたっていないに等しい」歌が意味を持つ。「…紫色にけぶる雨の中に君といたい」…このシチュエーションが、総ゆる批判もリアリティも突き抜けて、受け取る俺の耳に届く。泣いているのか、苛立ちなのか、それとも闇雲な衝動なのかすら、最早そこでは定かではない。ただ、そこは明らかに一つの「結節点の向こう側」なのだ。俺か゜そこに踏み込まなかった方の。
 断っておくが、別に俺は「B級映画礼賛」のつもりで、これを書いているのではない。むしろ云いたいのは、音楽を契機とした映画が、もっと出てきたっていーじゃないかって事。「映画音楽」ってゆージャンルがある事すら、今の俺には腹立たしーのだよ。
 勿論、タイトルナンバー。それに「Die 4 U」なんて少なくとも俺の好み。

(1987.11.5)