あの夜のこと……
                           [Timewind〜Klaus Schulze]

   もう忘れてしまった…クラウス・シュルツとの出会いを。
   なんだか、ひどく年をとったみたいな気になってしまう…思い出してしまうと、それがもう4年近くも前のことなのだ、という事に気付く。
   暗い部屋…明かりのスイッチより先に、FMチューナーのスイッチを入れ、ヴォリュームをクイ…とひねる。その瞬間、自分がどこに立っているのかを見失った。  重厚な音の塊がその空間を埋め尽くし、遠い遠い夜と砂の平原からの風が耳許をよぎるのを、僕は確かに聞いた。…75年11月の、或る夜の出来事である。
   それは紛れもなく、クラウスとの出会いであり、そしてそのアルバムこそ、僕のコレクションの中で最も重要な中の一枚である、このアルバムなのだ。
   確かに、クラウス・シュルツの名を僕は知っていた。あの、タンジェリン・ドリームの創始者の一人であり、僅か一枚「Electronic Meditation」を出したのみで、あのグループから去っていったメンバーである事を… 「エレクトロニクスのメカニックな可能性をさらに追求する方向に向かった…」…タンジェリンの5thアルバム「Phaedra」のライナー・ノーツにはそうした語句が見られる。彼の求めていたものが如何なるものだったのか、それを知り得ぬままにいた僕は、FMで初めて耳にした彼の世界に、最初の一撃で、完全に持っていかれてしまったのである。
   その後、このアルバムを入手した時の事も書こうか… 今はすでに潰れてしまった(それももう大分昔の事だ)小さな一坪しかない輸入盤屋で、このアルバムを見つけたのだ。まさかその店でとは思いもかけなかっただけに、しかも想像を絶した廉価だったもので(英国盤:1680円!)、震える手で金を払い、家に帰るまでの途を、殆んど飛び跳ねながら帰ってきたことまでをも憶えている。そして… その夜から、僕にとって、なくてはならぬレコードになったのである。
 あれから数年… 今、僕の手許には彼のアルバムが全部揃っている。そのすべてが、彼という人間の目指すものを、様々な角度から照らし出していると思える。そして、その一枚一枚が、次第次第に明確な映像を生み出していきつつある事も… しかし、その中にあって、このアルバムの持つ意味は恐ろしく大きい。間違いなく、このアルバムは一つの極値に達しているのだ。そして…
   …これは書けない。何度、今迄にこれを書こうとしたことか…  その度に、それは見事に消え去ってしまう。彼、クラウスとの出会いの瞬間に、僕が見てとった「何か」… あの夜以来、僕はこれを明確にしてやろうとして、そして常に退いている。今回も、また。
   ひょっとしたら… 僕がそれに一番近く在ったのは、実はあの夜だったのかも知れない。

  (1979.7.9)