「今日が初めてになる日…」
教室の窓から梅雨明けの、やや水気を含んだような青空を、ボンヤリと瞳の中に映していた。
…何かを思い出したかのように、チャイムが鳴った。我に返って立ち上がり、他の生徒たちに混じって回答用紙を提出したら… これで試験は終わり、「追試」が来ない限り、もう夏休みは始まっている。
教室から次々に消えていくクラスメートを横目に見ながら、机の中身を引っ張り出す。今日持って帰るものと、来週の終業式で良いものをざっと区分けしながら、ふと「生徒会室」の事を思い出して、僕は首を巡らした。
「副委員長」は窓際の席にいた。
先刻から、目の前でチラチラするカーテンが気になっていた。
開け放たれた窓からの微風に揺られて、裾のほころびが糸クズを伸ばしている。それだけじゃない、もとは「白かった」らしいカーテンの生地が、今では全体に「黒ずんで」きている事に気がついてしまい、試験最後の数分間はそれを「何とかしたい」という事しか考えられなかった。…チャイムが鳴ると、用紙の提出も上の空で、私は両手につかんだカーテンの生地をにらみつけていた。こいつ、どうしてやろうかしら? …その時すでに、私の中には「計画」が出来あがりつつあった。
そこへ彼…「委員長」がやってきた。「宮本サン、生徒会室、閉めに行くけど…」
頭を一つ振って、私はニッコリと振りかえった。「…ハーイ、今行きまーす…」
他のクラスの委員にも指図して、「生徒会室」をざっと「大掃除」した。
用済みになったポスターとか、紙ごみが大量に出た。裏門脇のゴミ置き場まで台車を2往復させて、…よーやく片付いた。さて、今度来るのは2学期か…と鍵をかけた「生徒会室」… その鍵を、早くも翌日に解く事になるとは… 忘れ物には注意しよう。何を忘れたかって? 聞かないでくれ…
「生徒会室」の用事は簡単に済んだ。帰ろうとして誰もいない校内を歩いているうち、ふと足は自分の教室へ向かった。ガラガラ… と引き戸を開けて中に入ると、そこは無人ではなかった。
机を積み上げて、今しがた近所のコインランドリーで洗濯してきたばかりのカーテンを付け直していたら、入ってきたのが「彼」だったので、私はビックリして思わず机から落ちかけた。
「え、佐々木サン?…きゃあっ!」
「あ、あぶないっ!」
普段からは想像できないほど素早く駈け寄ってくれた「彼」だが、私の体重は少し荷が重過ぎたみたいで、それでも「お約束」通りに「彼」の上に落っこちた私にケガはなかった。
「あ、いててて…」
「…大丈夫ですか?」
「あ…うん、へーきへーき…」
教室の床にぺたりと座り込んで、これまた「お約束」通り、私と「彼」は顔を見合わせた。
「なんで「副委員長」がここにいるんだ?…」
尋ねると「彼女」は恥ずかしそうに、
「このカーテン、洗濯しに来たんです…」
僕は驚いて「彼女」と、背後の窓にかけられたカーテンを見やった。…確かに、相当に煤けてホコリまみれになっていたのは覚えているが… 今、窓にかかったカーテンは、アイロンこそかけられていないものの、本来の清潔な「白」を取り戻して、涼しげに風を受けとめていた。その上、傍らの机には針と糸が置いてあって、ほころびやほつれまでしっかりと繕ってくれたらしい。
(うわあ…)これで「グラッと」来なかったら…男じゃないよ。
「自腹、だよな? じゃあ、僕も半分出そう…」
「あら、そんなのいいです…」
「じゃあ…」
なんでそう、スラスラと口に出来たのかはわからない。
「僕のおごりだ、お茶しに行こうよ…」
「彼」がそういってくれた瞬間、パッと思い出した…
「あ… じゃあ、あそこ…」
学校に隣接する、緑の多い公園…結構大きなそこを抜けた反対側に、ちょっと雰囲気のある小奇麗な喫茶店…以前その前をバスで通りすぎた事があって…それ以来、一度行って見たくてしょうがなかった。思いがけず、今日来てみて「大当たり」だったのを知った。
白いしっくいの壁に少し高い天井…自然光が入るんで絶対「昼間」向きね…木目調のテーブルと椅子、そのサイズが大きめの割りに丈はやや低めで、靴を脱いで座り込んでしまえる…そしたらまぁ、落ち着くことといったら! …「甘さ控え目」と書かれたオリジナル手作りケーキがいくつかと、特筆すべきはずらっと紅茶が二十何種! でもって…
メニューを前に考え込んでしまった私に苦笑しながら「彼」がお店のマスターに、
「…えーと、後でもういっぺん呼びますから…僕にはオレンジブロッサムとブルーベリータルト…」
「なあんですってぇ!!…」
私は一瞬、ホントに逆上した。どーしてそんな一番おいしそーなチョイスが無造作に出来ちゃう訳?!…気がつくと、テープルの反対側で「彼」が目をむいていた。しまった…
幸い、「彼」は気にした様子もなく、
「…あ、それが良かった? だったらそれと、…じゃアールグレーと木苺のムース…」
「そんなぁ!!…」
いっておくが、僕はそんな「甘い物好き」ではない。だからかえって「甘い物」は美味しく食べたいと思う。紅茶は…実はこれ、ウチの母親の趣味なのだ。
だから割りに小さい頃からダージリンだのセイロンだの、結構しっかり付き合わされて…そいで紅茶といったらやっぱケーキだろ?…このお茶にはこんな甘さ、このお茶だったらこんな風味…だんだんに「相性」みたいなものを覚えちゃって…
「へえ〜、すごいですねェ…」
ムースとタルト、それに自分で選んだアップルパイを交互にぱくつきながら、「彼女」は僕の選んだ紅茶を僕と「回し呑み」していた。因みに、アップルパイだったら…「そりゃやっぱり、ハイ・アッサムのロイヤルミルクティでしょー…」といったら「彼女」はもう降参…といわんばかりに手を上げた。
「彼」の選んでくれた「取り合わせ」はどれも「最高」だった。ブルーベリーの甘さとオレンジブロッサムの「ちょいにが」は抜群だったし、アールグレーの香りと木苺の香りが喧嘩しないのも驚いた。なにより、アップルパイにミルクティの優しさときたら! …こんなに美味しい思いをさせてもらったのは、ひょっとして「生まれて初めて」だったかも。そして…
すぐ目の前に「彼」がいる!…先刻からあれよあれよという間にここまできて、思わず「食い気優先」モードに入って紅茶とケーキを堪能したら…ふと、ティーカップを手に軽く微笑んでいる「彼」の視線に私は我に返った。(これって…、“デート”…よね!?)
「委員長と副委員長」だけど、プライベートじゃほとんど喋ったことなかったよな… 「彼女」を前に、僕は不思議なくらいリラックスしていた。そういやあ、女の子と二人だけで喫茶店にいる、なんて「生まれて初めての経験」なんだもんな… 頭の隅でボンヤリ考えながら、僕は目の前の「彼女」を眺めていた。柔らかく丸い顔のラインに沿って、ゆったりと編まれた髪が両側に垂れている。薄いピンクの縁のメガネはやや大きめだが、その下で健康そうに動く両目が人懐こくて、見ているとなんとなく、こちらが楽しくなってくる… それは今しがた、ケーキを食べ紅茶を啜る「彼女」の様子が、「とても美味しそう」だったことと、あながち無関係ではないだろう。ティーカップごしに、こちらをチラと上目遣いに見やって、あわてて下を向いた「彼女」は、なんだかひどく「可愛かった」。
…ひゃ〜…
ここまでうまく「意識」をそらしてたのに、真正面から「ニコ☆…」なんてされたものだから、もう平静ではいられない。どうしよ、どうしよ、…って、何よ、これって「絶好の機会」じゃないの?! 周囲にクラスメートはいないし、それに…ここまで「同じケーキを食べ、同じカップを回し飲み」してきてるのよ! そうよ… って、「同じカップ回し飲み」ッ?!?!…
ダメ…… しばらく、立ち直れないわ…
不思議なものを見た。
目の前の「彼女」が無言のまま、椅子の上にペタリと座り込んだままの姿勢で、何に思い至ったのか、不意にグワーッ…と燃え上がり、そして次の瞬間、その顔がみるみる青ざめ、「取り返しのつかぬ事をしてしまった」風情で、うつむいたままその場に固まってしまったのを。
どうしたらいいんだろう? とりあえず、声はかけておいた方がいいかな?…
「あ、あの…宮本サン? どうかした…の?」
誰かに遠くから呼ばれたような気がした。
真っ白だった視界に、急速に色彩が戻ってくる。と…目の前にあったのは、正面から至近距離でのぞきこむ「彼」の顔だった!…
「…ハ、ハイッ! いえ、なんでもないですっ!!…」
「そう? …なら、いいんだけど…」
冷めて残った紅茶をグイ…と飲み干してしまうと、「彼」は立ち上がりかけた。
「そろそろ、行こうか?…」
「あ、そうですね…」
「ありがとうございました〜…」
カラン…と、ドアベルを鳴らして二人が店の外に出てくると、何時の間にか、空は半分以上暗い雲で覆われ、いくらか風も出てきていた。
ほんとにいいんですか?…それじゃどうもごちそうさまでした…深々と頭を下げる「彼女」に、いやいや…と手をふってみせてから、
「さてと、どうしよう? 駅まで戻るのが近いのかな?…」
「そうですけど…それなら、公園の中抜けていくより、公園に沿った道歩いていく方が近いです…」
公園の外周は低い生垣になっていて、それは駅前まで続く2車線のバス通りにずっと面していた。
「それじゃ、少し歩こうか…」
「は、はい…」
二人が歩きだした時、雲はますます速く流れていた。
しばし無言のまま、二人肩を並べて歩いていると、「ポツリッ…」ときた。
「あちゃ… 降り出しちゃった。急いだ方がいいね?…」
「彼」に促されて歩調を速める間も無く、雨はいきなり「本降り」になった。道路のこちら側には雨宿りできる木陰もなく、早くも「彼」のシャツが濡れて背中にへばり付き、私の髪からは雨水がしたたり落ち始めた。全身ずぶ濡れの二人が足早に駅へと急いでいくと、…反対側の歩道沿いに、やや大きめの建物が見えてきた。「彼」が振りかえった。
「ここで雨宿りできそうだ…」
「え? でもここって…」
私は…知ってた。最近出来たばかりの「今風」ファッションホテル…昔でいうなら「ラブホテル」だ。入り口に近づいたら流石に「彼」も、
「あ…」
気がついたものの、雨脚は一向に衰えない。にわか雨だから、そのうちには止むだろうけど…
困った顔の「彼」を見ているうちに、…ついに私はキレた。
「あの…入っちゃいません?」
「え?」
「このままじゃ二人とも風邪ひいちゃう…」
「…それもそだね。よし…」
初めて足を踏み入れた場所で、これほど好奇心を刺激される場所…てのもそう無いと思う。
入り口を真っ直ぐ進んだ突き当たりは、大きな「電光掲示板」のようなパネルになっており、
「…明かりの消えてる部屋は使用中、空き部屋の明かりがついてるんです…」
「彼女」が囁いてくれて「仕組み」は了解… 素早く「料金」に目をやって、一番安い部屋の一つを選んだ。パネルを押すと、
(ガコン…)
下からルームキーが吐き出され、それと同時に床と壁面で発光ダイオードが点滅しはじめた。
「…こっちへ来い…って、いうことだよね…」
ルームキーを手に、サインランプの示す通りに歩いていくと、やがて一つのドアに辿りついた。勿論、手にしたキーでその扉は開いた。
「ふーん、中はこうなってるんだ…」
好奇心一杯で室内を見回し始める「彼」に、
「感心してないで、服ぬいでそこのガウンに着替えて…濡れたの干しときますから…」
「あ、はいはい…」
「えっと…こっち見ちゃだめですよ…」
「彼」が背中を向けたまま、服を脱いでいくのをチラ…と見やって、私も手早く下着の上にガウンをはおった。濡れたブラウスとかスカートとかをハンガーにかけ、彼のシャツやズボンと一緒にエアコンの吹き出し口に並べて干し終わって… 二人、とりあえずホッと一息ついた。
一息ついたと思ったら、
「くしゅん!…」
「彼女」のくしゃみに僕はハッとなった。このシーズンである、多分「除湿」だけだろうが、室内のエアコンは結構良く効いていた。
「えーと…シャワーで温まってきたらどうかな?…」
「あ、そうですね…そうします…」
ガウン姿の「彼女」がバスルームへ向かう一瞬、その胸元に目が行ってしまった。柔らかなタオル地のガウンを内側からしっかり持ち上げるそこに…
髪の毛までぐっしょり水を含んでいたので、シャワーを浴びに行くのにためらいは無かった。
ドレッシングルームの脱衣籠にガウンと下着を投げ込んで(下着までは濡れてなかった。セーフ…)私はバスルームに入った。メガネも外したんで、バスルームの細部までは見て取れなかったけど、二人なら余裕で入れる大きな浴槽と、壁一面が「大きな鏡」になってるのはわかった。
髪をほどいて、とりあえず頭から熱いシャワーを浴び始めたとき、
(…ドォ〜ン…)
結構大きな音が鏡の向こうから聞こえてきた。
「彼」、何やってるのかしら?…
「彼女」がバスルームに消えたのを確かめて、僕はもう一度ホッと息をついた。
(やっばいなぁ…)なりゆきとはいえ、二人してホテルの一室… 所在なく立ち上がり、僕はそこらをウロウロした。「…どうしたらいいんだ僕は…」わざと口に出してみると、余計にいろんな考えが頭に浮かぶ。先刻の「彼女」可愛かったよなぁ…どうにかしそうだよぉ…
ベッドサイドに戻り、腰をおろそうとして… 僕はそのまま床にひっくり返った。ふと前方から聞こえてきた(ザアッ…)という水音に顔を上げた瞬間!… バスルームとベッドルームを隔てる壁はマジックミラーになっていて、シャワーを浴びる「彼女」の全身がモロに見えた。それだけじゃない、メガネを外し、髪をほどいた素顔の「彼女」に、僕の視線はクギ付けされたように動けなくなった。…
ここのバスルームに置いてあるシャンプーとかトリートメントとかって…良く見たら全部VSのプレミアムじゃないの…こんな高いの、今まで使ったことないわ…
その「使い心地」が抜群だったので、ついでにたっぷりの熱湯で全身スッキリ洗い上げてしまった。すると… 部屋で待っている「彼」のことが思い出されて…私はかえって冷静になった。
(バスルーム出てから、どうなるかしら?…)
ドレッシングルームへ戻り、白いフカフカのバスタオルで身体を拭き、ドライヤーで手早く髪を乾かすと… 私は下着をつけずにガウンをまとった。
「お先、でした…」
部屋へ戻ると、「僕も浴びよう…」
入れ替わりにシャワーへ向かう「彼」は何故か慌てていた。…その訳は数秒後にわかった。
とにかく盛大に泡を立てて、全身をくまなく洗った。「洗い残し」が無いように気をつけてシャワーを浴びた…なんて、生まれて初めてだった。
(多分、見られてるよな…)そう思われたから、念入りに全身を洗い流した。最低限、みっともなくならないように「清潔」をアピールするつもりはあった。
バスルームを出ると、部屋の明かりが絞られていた。それだけで…「彼女」の思いが届いた。中央のベッドにくるまって「彼女」が首だけ出しているのへ、傍らに寄って僕は静かに声をかけた。
「見た?…」
「…はい」
じっとこちらを見た「彼女」は、消えそうな声で
「来て…下さい」
と、告げた。
ガウンを脱ぎ捨てた「彼」が傍らに滑り込んでくる。
私は手を伸ばして、すがりつくように「彼」の身体に身をすりよせた。
「いいの?…」
尋ねる「彼」に、私ははっきりとうなずいて見せ、自分から唇を求めていった。…そのまま、しばらく二人はじっとしていた。
「あぁ…」
思わず声が漏れた。「彼」の首に両腕を巻いて、その耳許に囁く。それはもう、必死の思いで…
「春からずっと、こうしたいと想ってました…」
薄闇の中で,僕は目を見張った。
「…そうだったんだ。気付いてあげられなくてゴメン…」
「いいんです。だってもう、こうなっちゃってるんですから…」
そのままの姿勢で、くるん…と二人の身体がいれかわった。上半身を浮かせて、僕は「彼女」の全身をまじまじと眺めた。
「きれいだ…とっても…」
「いや、はずかしい…」
目を閉じたまま、「彼女」が、「はじめて…だから、お願い…やさしくして」
わかった… 私の耳許で応えるなり、「彼」は静かに身体を重ねてきた。さりげなくその手が伸びて、私のそこを確かめる…「彼」の指がスルッと滑って、私がどれほど潤っているのか自分でもわかった。次の瞬間、更にゆっくり、「彼」が私の中に入ってきた。
「あ…あ…あ…」
ほんのちょっとずつ、「彼」が前へ進む度に、抑えていても短く声が漏れた。それと同時に、私の背筋が徐々に反り返っていく… やがて、
「…ほら、全部入っちゃった… きつくない?」
「ちょっと…でも、がまんします…」
そう、それじゃ…「彼」はもっとゆっくり動きはじめた。あぁっ…せつなげに「彼女」が顔をそむけると、ほどかれた黒髪が枕の上に散らばってうねった。
(うわ、すげぇ…こんなに…)
それが「彼」の抱いた最後の感慨だった。相当に緊張していたために、却ってここまで保った「彼」も、もう限界だった。
「あ、もう…だめだ、出る…」
「…き、今日は…大丈夫な日だから…そのまま、きて…きて下さい…」
あ… 二人、同時に息を止めた。
…数分後、
「大丈夫…だったかな?」
「…痛かった…です」
「ゴメン…」
二人、うつ伏せに並んで、枕にあごをのせていた。
「あやまんなくていいですから…そのかわり、これからは名前呼んでくださいね?」
「え?」
「…名前、知ってます…よね?」
「勿論…だけど、その方が照れるよ…」
あらためて二人、互いの目をみつめあった。
「…ケイコ…」
「ハイ…学サン…」
…どちらからともなく両腕を差し伸べて、二人はしっかりと抱きしめ合った。
「シャワー、浴びようか…今度は一緒に…」
「ハイ…でもその前に」
はずかしそうに、ケイコ、だが大胆なことを口にした。
「もう一回、して欲しいです。…今度は名前呼びながら…」
「だからそれは照れるって…」
[終]