周遊券奇行

−’95夏 北海道−

1日目 ぷろろーぐ


今回の旅は165系通勤快速名古屋行で始まる。 この列車には、学校が始まると1週間に3回ほどお世話になる。 今日はいつものように金山ですぐに降りてしまうが、 乗り換えるのはいつもとは逆の方向の豊橋行である。 金山駅でS(M大農学部)、 豊橋行車内でH(F大工学部)、 笠寺でI(N経大経済学部)と、 予定どおりに合流できた。 このあと静岡で T(M大工学部・ビリヤードサークル初代部長)、 札幌 でK(A工大学鉄道研究部)と落ち合う予定である。 豊橋行は4両編成で混んでいたが、 安城で全員座れた。

豊橋浜松 と乗り換えて、掛川を過ぎた辺りだっただろうか、 Sが「ゴミを捨ててくる」と言って、列車を降りた。ところが、 Sが戻って来ないうちに扉が閉まった。もしかして乗り遅れたのか? しかし、Sは無事に前の車両からやって来た。 「おい」 Hが声を掛けるが、Sはそのまま私たちの前を通り過ぎて行った。 「…あいつ気づいてないぞ」「次とおったら、みんな外の方を見て無視しよう」 Sは、今度は後ろの車両からやって来て、 またも我々の前を(気づかずに)素通りして行った。 ほどなく、また前の車両から…最初のREPLAYである。みんな笑いをかみ殺している。 列車内遭難!??! まさか、僅か3両編成の113系の車内で迷子になるものがいるとは。 この後Iが迎えに行くまで、Sは後ろの車両で1人座っていたそうだ。

静岡東海2号 に乗り換えるはずだったが、なんと、乗り遅れてしまった。 列車を降りた目の前がグリーン車だったので、 普通車まで移動しようとしているうちに発車してしまったのだ。 東海2号にはTが乗っているはずである。 1人にしておくのもかわいそうなので、私だけ新幹線で追いかけることにした。 新幹線はさすがに速い、三島東海2号 に追いつき、Tに会うことができた。 その後、私とTは横浜ランドマークタワー、中華街などを見たあと、 上野へ向かった。上野 へ着くと、まだ17時台なのに八甲田 の自由席をねらって並んでいる人が1人いた。 一番乗りだと思ったのに…。 Hたちとは18時にここに集まることにしてある。まだ時間があったので、 東京駅の中央線ホームを見に行った。 上野に戻ると18時10分だった。 Hに怒られてしまった。

八甲田 は椅子を向かい合わせにして足を投げ出して眠ることができた。 今日の八甲田は非常にスムースな走りで、 外の景色を見ていないといつ発車したのか判らないくらいショックが少なく 静かであった。 去年の夏に乗ったムーンライト九州は 駅を発車する度に『ドン』『ガタガタ』と、非常にうるさかった。 そのムーンライト九州と同じ形式の客車を 使っているのだから、これはきっと運転士の腕の差であろう。 おかげでよく眠れた。

2日目 青函フェリー


目が覚めると八甲田盛岡に着く直前だった。 昨日は小山の停車まで覚えているので、 6時間と少し寝たことになる。少し遅れて運転していたらしいが、 盛岡の停車時間を削って回復したようだ。 定刻どおりに発車した。 はつかりなら青森 まで2時間30分ほどだが、八甲田は3時間かかる。 9時7分、少し早く青森に到着した。

Iはこのまま海峡83号八甲田の車両をそのまま使う・ ただし、車内清掃のため乗客はいったん外へ出なければならない ) で、函館へ向かうが、 私を含めたほかの4人はフェリーを使うことにした。 Iを見送ってから、タクシーで青森港へ。乗船手続きの際、 窓口に学生証を見せると学割1120円になった。 だが、フェリーが入港して20分もするとフェリーを選択したことを後悔し始めた。 乗船の順番が、トラック→乗用車→バイク→徒歩、の順なので、 船室に入ったときには既に多くの人がくつろいでいて、 少ししか場所の確保ができなかった。 Iはもう函館に到着した12時30分、 フェリーは青森港を出港した。

青森駅では晴れていたのだが、いつの間にか空一面の雲。 津軽半島、下北半島がうっすらと見えるが、面白くないので船内で本を読んで過ごす。 幸い船酔いにならないうちに函館港に着いた。下船時も、トラック→乗用車→バイク→徒歩、 の順番である。もう二度と青函フェリーなど乗るもんか! タクシーで函館駅へ向かう。

函館 駅でIと合流して谷地頭 へ行き入浴。そして、函館どっく前 近くの大正湯のコインランドリーに洗濯物をほうり込み、 十字街 近くのレストランで夕食。その後、函館山へ夜景を見に行く予定だったが、 登山バスの終バスに間に合わなかったためあきらめる。 コインランドリーへ戻り、洗濯物の乾燥を済ませてどっく前 の電停へ行くと21時7分だった。 終電は21時1分……、仕方なく函館駅まで歩いた。 今夜はミッドナイトのカーペットカーで眠る。

3日目 束の間の再会


札幌に着いてミッドナイト から降りると、いきなりKが現れた。 ミッドナイト札幌東室蘭札幌と折り返したという。よくやるなぁ。 コインロッカーに荷物の大半を預けて、「北大」と「旧北海道庁」を見てくる。 途中で雨が降って来たので、すぐに札幌駅へ戻る。

朝食を済ませた後、Kが「9時3分の電車で小樽へ行く」と、 一人で先に行ってしまったので後を追う。「9時3分の電車」に乗り込んだのだが、 Kは見つからない。 Kとは16時に旭川 で会うことになっているから、ま、いいか。 仕方がないので、Kを除いた5人で小樽観光をすることにした。 駅前からバスに乗り、「北一ガラス3号館」・「オルゴール堂」をみて、 「オルゴール堂」近くのステーキ屋《ヴィクトリア》で昼食をとる。 安くて美味しかった。 南小樽駅まで歩いて 札幌へ、エアポート134号 は721系1000番台のVVVF車両だった。 札幌でコインロッカーから荷物を出して、 スーパーホワイトアロー13号に乗る。 Hだけはライラック15号に乗ると言って 札幌にのこった。 Kはきっと3185Mに乗っているはずだ(Kだけは18きっぷを使っている)。 スーパーホワイトアロー深川で降りて、 オレンジカードを買っていると Kに声をかけられた。Kと一緒に3185Mで旭川へ行き Hたちと合流して、今夜の宿に早めにチェックインした。

4日目 オホーツク×3


旭川 8時40分発のオホーツク1号に乗るつもりだったが、 皆低血圧なのか誰も出発しようとせず、 結局10時発のスーパーホワイトアロー6号滝川まで行き、そこから オホーツク3号に乗って 網走へ行くことにした。 滝川のキオスクでマガジンを買っているあいだに、 危うくオホーツクに乗り遅れそうになったが、 何とか間に合った。 旭川で3分の1ほど乗客が入れ替わり、 5人でまとまって座ることができた。 ちなみにKは18きっぷのため、別行動である。

オホーツク自由席のシートは、 国鉄時代のままのリクライニングシートで、テーブルも窓側から張り出している 固定式のものであった。個人的には非リクライニングでもキハ80系のように、 前のシートの背中にテーブルが付いているほうが好きだ。 網走には定刻に到着した。

刑務所まで歩いて往復する。なぜここの刑務所だけ観光地となり得るのだろうか。 不思議である。駅近くの《麗門亭》という喫茶店で夕食。 店内には、切符・定期券・学割証などが所狭しと貼ってあった。 味は…モノによってかなり評価が違うようだ。

19時28分、Kが網走に到着した。 翌日は釧網本線の始発に乗ることを確認して、Tたちの夜営の場所を探す。 場所は刑務所の近くの公園に決まった。私はオホーツク で夜行折り返しするので、テントの設営を手伝ってから 網走駅に戻り、改札口の前に並ぶ。 上川では時間が足りないし、 白滝丸瀬布 で夜中に2時間以上も待つのは怖いので 遠軽で折り返すことにした。 オホーツク10号は22時頃入線し、 私は無事に座席を確保することができた。

5日目 釧網本線


オホーツク10号遠軽 に到着した。下車したのは私1人、車掌が来て改札を行う。 車掌は、オホーツク9号の到着まで待合室で 待てるようなことを言っていたが、0時40分頃ソバ屋のおっちゃんの手によって駅は 閉鎖されてしまった。しかたがないので、駅入り口の扉の間で、風を避けて“体育座りネ” をする。マガジンを座布団代わりにするがお尻が痛い。1時間ほどの睡眠を 3回繰り返したところで、3時20分頃駅が開いた。待合室へ移り仮眠。 空が少し明るくなって来たころ、オホーツク9号は到着した。

空席を見つけて座る。10号よりも空いている。網走 到着前に網走湖の説明の観光案内放送があった。 昨日の3号では無かったのに、夜行の9号であるとは不思議だ。 網走に到着、釧網本線始発の4725Dを待つ。 4725Dが入線してしばらくすると、みんながやって来た。 が、1人だけ民宿に泊まったIがいない。 Iは発車時刻になっても姿を現さなかった。ねぼうしやがったな!? こんなときは待たずに先に行くことになっている。 Iを除く5人を乗せた4725Dは定刻に発車した。

ウトロへ行くHを除き、残る4人は原生花園で下車した。 1時間ほど駅周辺を散策した後、駅のベンチに座って舟を漕いでいると、 いつの間にか人が増え、駅前の土産物屋が店を開け、 さらにいつ来たのかJRの人が現れて商売を始めている。このJR氏は商売上手らしく、 切符やオレンジカードがかなり売れているようだ。 Iもバスを使って原生花園駅に来た。

5人そろって、10時18分発のしれとこ に乗車、釧路湿原へ向かう。 周辺では本当に緑1色の原生林の中を走ったり、 なかなかすごい車窓である。 摩周で摩周湖へ行くTと別れる、 12時41分釧路湿原到着。細岡展望台で湿原を眺めると、 川をカヌーで下っている人が見えた。駅に戻ると、キタキツネが駅前に佇んでいる、 写真を撮ろうとすると逃げてしまった。残念である。入場券を買うとNo.4444だった。 運がいいのか悪いのか判断に苦しむところだ。 釧路行の列車は満員だったので、 釧路まで立つことになった。

釧路では、 「先に根室へ行く」というKと別れ、市内の銭湯で汗を流したあとで、 摩周湖へ行ったTと合流した。 私はS・T と3人で根室に行くことにした。 Iはおおぞら14号に乗るため、 釧路に残る。

根室行きの最終列車はキハ183系と同じ リクライニングシートだった。外を見ても真っ暗で何も見えない。いつの間にか眠ってしまった。 根室ではKが迎えてくれると思っていたが、 Kの姿は無かった。(後で判ったことだが、Kは根室には来たが、 雨が降っていたため釧路へ戻ったのだ)おまけに雨が降っている。

市役所の隣の公園にテントを張って夜営する。ちなみにテントはTのものである(3人用)。

6日目 移動


朝1番のバスで納沙布岬へ行く。 納沙布岬は見渡す限りの霧で真っ白な海と空が広がっていた。 つまらないので、東根室駅に行くべく、 私だけ30分後のバスで根室駅に戻る。

根室駅では次の列車を待つ人が列を作っていた。 座る必要は無いので、列には並ばず、最後に改札を通り、1番前のデッキに立つ。 東根室で運転士に周遊券を見せて降りる。 写真を撮り、駅前の通りを歩くとバス停を見つけた。 すぐに根室駅前経由のバスが来たので乗車する。 根室駅までは均一料金190円だった。

T、Sと合流し、はなさき に乗車する。 釧路までほとんど眠っていたが、 厚岸に駅弁の立売がいなかったことだけは覚えている。

釧路では駅弁「わかどり弁当」を買って、 おおぞら8号に乗り換えた。 今夜は池田で夜営の予定だが、 帯広まで行き風呂に入ってから池田へ行くことにした。 帯広で入浴した《あさひ湯》は植物性モール温泉だったが、ただそれだけの銭湯だった。 池田駅前の《よねくら》で夕食、 駅前広場の隅にテントを張って夜営。

7日目 池田


朝7時起床、今日はここでパラグライダーをする予定だ…った。 函館へ行くSと別れ、Tとともに指定の集合場所へ行く。 しかし、天候不順のためパラグライダーは中止となってしまった。 仕方がないので駅に戻り、 今夜の利尻のお座敷車の指定券を 買ってから、ワイン城を見て来た。 《よねくら》で「十勝牛のワイン漬ステーキ辨當」を買って、 おおぞら8号に乗る。 「十勝牛のワイン漬ステーキ辨當」は《よねくら》に注文すれば、 30分くらいで作ってくれる。味は、そのへんのファミリーレストランの ステーキと同じかそれ以上と思われる。オススメである。(電話予約可)

新得で下車し、駅前の銭湯に入浴後 おおぞら10号札幌 へ向かう。 おおぞら10号の先頭6号車(自由席)は500番台で、 1番AB席では前面展望が楽しめるが、私たちは禁煙の5号車に座った。 なぜあんな良い席を非国民(喫煙者)に与えるのか、とTは憤っていた。

この日の利尻は寝台車を1両とキハ56一般車、 キロ56お座敷車を増結していた。それでも、自由席は立客も出るほどの混雑で、 お座敷車も空席0だった。よく当日に取れたものだ。1540円も払ったかいがあり、 横になってぐっすり眠れた。

8日目 深名線


稚内も時々小雨の降るあいにくの天気だった。 Tと宗谷岬へ行く予定だったが、何となく面倒になって Tと別れる。とりあえず防波堤ドームを見に行くことにした。 が、着いて見ると、少々おぞましい光景− 札幌網走稚内 の駅前でも同じような光景を見て来たがここは凄かった − が広がっていて、さらにブルーな気持ちになり、 コインランドリーで洗濯だけして深名線へ向かうことにした。 しかし乾燥機が電気式で乾きが悪くお金が減って行くばかりなので、 半分は脱水だけして、後で何処かガス式乾燥機の有るところで乾かすことにした。

稚内発10時48分の普通で 名寄へ行く。 途中、幌延で入場券を買い、 音威子府で月見そばを食したが、 そのほかはほとんど眠っていた。

深名線は今年の春に初めて乗った。そのときは 深川5725D 朱鞠内5735D 名寄の方向で、 今回は逆向きに 名寄5734D(朱鞠内) 5726D深川 と乗車した。 単行(1両編成)の車内は名古屋のラッシュ時間帯並の混雑だが、 座ることが出来た。JR北海道もこうなる事は予想できたはずだ、 1両くらい増結できないのか。車掌が沿線の案内放送をするが、 はっきり言って誰も聴いていない(聞こえない)。 駅毎に1・2人ずつ乗客が増えてゆく。 朱鞠内幌加内で入場券を各5枚買う。 幌加内では私の前に並んだおっさんが オレンジカードと入場券を買うのに1万円札を出し、 おまけに領収証を請求したため時間が懸かり、 写真を撮ることが出来なかったばかりか乗り遅れそうになった。 迷惑なおっさんだ。1万円札はともかく領収証はやめてほしかった。 5726Dは日没に併せるかのように薄暗くなった 深川駅に到着した。 こうして2回目にして最後の深名線乗車は終わった。

深川からは スーパーホワイトアロー24号札幌へ行き、ミッドナイト 自由席の列に並んだ。ミッドナイト は窓側の席に座ってしまったので足を伸ばすことが出来なかったが、比較的良く眠れた。

9日目 函館


今日は函館の街を観光することにした。市電の車内で1日乗車券を購入し、谷地頭 で入浴後大正湯のコインランドリーで洗濯をする。

函館駅前に戻り、 郵便局でお金を降ろしてから、湯の川 行の市電に乗る。 終点の湯の川で降りて、函館空港に行くことにした。 湯の川電停近くの湯倉神社前 というバス停から函館空港 行のバスに乗る。1時間ほど飛行機を眺めてから、「五稜郭公園」 へ行く。「五稜郭公園」は…地上から見てはあまり面白くない。 公園の裏手で『男爵芋を讃ふ』と書かれたよく解らない石碑を見つけた。 近くの渡島支庁前(バス停)から 函館駅前行のバスに乗り、 駅前の棒二森屋(ボーニモリヤ)前で降りて、 近くの《丼》で昼食。

食後は、市電で十字街へ行き、 その存在に気づく者は殆どいないであろう「亀井勝一郎生誕の地」、 それと道路を隔てた真向かいの「カトリック元町教会」周辺から、「亀井勝一郎文学碑」、 「石川啄木住居地跡」、「函館公園」経由で青柳町まで歩く。 亀井勝一郎関係は観光客から完全に見捨てられており、「石川啄木住居地跡」は 月決め駐車場になっていた。 青柳町から十字街 まで市電で移動し、「日本最古のコンクリート電柱」、「はこだて明治館」を見て、 魚市場前から市電で 函館駅前に戻る。

函館駅前から、登山バスに乗って函館山に向かう。 函館山の展望台からの眺めは観光パンフレット等にあるものと同じで、妙に納得した。 同時に函館の街には高い建物が少ないことに気が付いた。まだ夜景の時間ではないが、 どんどん人が増えてくるので、折り返しのバスに乗り下山した。 夕食後、ミッドナイト禁煙車自由席の列の2番目に並ぶ。 この日JRはミッドナイトしか乗らなかった。

10日目 南下


札幌 に到着、すぐにスーパー北斗2号函館へ折り返す。 上野幌の辺りまでは覚 えているが、その後眠ってしまい、東室蘭 に停車した記憶はあるものの、 気がつくと七重を通過するところだった。 2時間半以上眠っていたことになる。函館 でKを除く全員集まり、 海峡10号青森 へ向かう。青森では駅の近くの銭湯でさっぱりしてから、 八甲田の禁煙車自由席の案内板の前に並ぶ。

八甲田は、またしても足を投げ出して座ることができた。 八戸でわずかな停車時間にホームの自動販売機で ジュースを買う。急行なのだから自動販売機くらい列車内に設置してほしい。

11日目 えぴろーぐ


小山で目が覚めた。 顔を洗ったり荷物の整理をして上野まで時間をつぶす。 上野に到着後、Tの提案で上野公園を通って 博物館動物園駅を見に行くことにした。 博物館動物園駅については 「こちら葛飾区亀有公園前派出所 95巻」や「レイルマガジン (’95)10月号」 に詳しく書かれているので、ここでは省略する。 それにしても、終電が18時1分とは…。

京成で日暮里まで行き、京浜東北線に乗り換えて、 東京へ行く。 東京で東海道本線に乗り換えるが、 アクティーに乗るため品川 で降りる。 アクティーは2階席を確保することができた。 Tはこの215系を「今回の旅で乗った車両の中で一番良い!」と絶賛していた。

往路とは違い、 熱海浜松豊橋と、無事に乗り換えることができた。 共和で普通列車に乗り換えるI、Tと別れ、 名古屋まで乗るHを車内に残し、 Sとともに金山で中央本線に乗り換える。 中央本線はSとは違う車両に乗り、千種 で下車。 駅員が何も言わなかったので、周遊券のB券はそのままいただいて来た。


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