2001.4.18空間認識の自己中心性はどう発達するか(3つ山問題、3つの山課題)
名古屋市立鶴舞小学校
伊 藤 亮 吉
1999年度に3年生を担任しました。4月に絵地図を学習するのですがほとんどの子どもは、教科書に載っているような絵地図がかけませんでした。子どもにとって見ているものを違う角度から見たようにかくとか、考えるとかいう問題は大変難しいようです。そこで、「三つの山課題」に取り上げられている調査を参考にして実態調査をしました。(空間認識における自己中心性と地図学習を参照)
2000年度は5年生の担任でしたが、月の満ち欠けで同じようなことを感じました。いったい、この問題について子どもはどのように発達していくのでしょうか。そこで、昨年調査した児童(今年は四年生です。)を中心に(転出入があるので完全には一致しない。)再度同じ手法で実態調査をしました。その結果と考察を述べたいと思います。
【子どもが見ている景色】
児童はこの景色を見ながら、
右から、反対から、左から、上から
見える景色を想像してかく。
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【右90°から見た景色をかいた結果】
見ている位置をかいた児童
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正しい位置をかいた児童
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3年生の時の結果
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4年生の時の結果
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転出入もありましたが、正解と不正解の比率がほとんど変わっていないことが特徴です。もちろん不正解から正解になった児童もいるし、反対に正解から不正解になった児童もいます。
次の表は、2年とも調査に参加した児童の変化の様子です。
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3年生4年生の2年間調査した児童の変化の様子 |
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3年生 |
4年生 |
人 数 |
○ |
正 解 |
正 解 |
15人 |
↑ |
不正解 |
正 解 |
5人 |
→ |
不正解 |
不正解 |
6人 |
↓
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正 解
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不正解
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4人
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3年の時、正解であった児童は、4年生でも多くは正解でしたが、正解と不正解を揺れ動いたり、不正解のままだった児童も結構たくさんいます。発達の順序性というよりもその子どもの特徴といえなくもないと思います。ところが、調査に先立って、見たままの景色をかかせたところ、ほとんどすべての児童が正しい景色をかくことができました。(重なりも含めて)
つまり、見たままかくことは困難ではありませんが、見ている絵をもとにして違う方角から見た景色をかくためには別の能力か訓練がいるのではないでしょうか。
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左の図は、ある児童が見ている景色をかいた絵です。位置も重なりによる前後関係も正しくかけています。
ところが左下の図を見てわかるように「この景色を右90°からみた様子をかきなさい」という課題では、山の配列がみている景色と全く同じになっています。さらに、重なりも前後関係も正しくありません。
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【180°から見た景色をかいた結果】
反対180°から見た図については、絵そのものは簡単にかけたのですが、位置関係についての誤りが大変多かったのが特徴です。これが4年生になると正解者が明らかに増えています。しかし、左右を反対に書いた児童も増えています。極端に減っているのが、見たままの風景(この場合緑が隠れている)です。大小や前後の関係はよく認識できるようになったといえましょう。
次に、この三つに発達関係があるのでしょうか。両方の調査に関わった児童の様子を見てみたいと思います。
変化の形態(両学年に在籍したもののみ) |
○ |
正 解 →正 解 |
3人 |
↑ |
不正解 →正 解 |
8人 |
→ |
不正解 →不正解 |
15人 |
↓ |
正 解 →不正解 |
1人 |
・ 見ている景色→左右が反対になった児童が7人いる。
・ 左右が反対→正しい景色になった児童が7人いる。
・ 見ている景色→直接正しい景色になった児童は1人である。
・ 見ている景色のままの児童が2人である。
・ 左右が反対のままの児童が5人である。
この結果から見ている景色→左右が反対→正しい景色へと移行するという段階を踏むという特徴があると考えられます。つまり「前後や大小関係が先に認識できてから、左右関係に意識が向く」といえるのではないでしょうか。
【左90°から見た景色をかいた結果】
みたままの景色
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正しい景色
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左90°では正解が大幅に増えました。右90°では一人しかいなかった左右の位置関係が逆になっている児童が目立ちます。右90°からはじめたからなのか、右利きなのかはわかりません。
また、よく考える子の中に緑の山の見え方(見えるのか隠れるのか)を気にする児童が四年生で3人いました。確かに微妙な位置関係ではあります。ふつうの児童はあまり気にしなかったようです。灰色が正しくても緑と茶の左右関係が不安定な児童みいるようです。緑の山の位置を検討する必要があるかもしれません。
もう一つの特徴は、見ている景色をかく児童は減りましたが左右の位置関係が逆の子の割合はほとんど変わっていないということです。
変化の形態(両学年に在籍したもののみ) |
○ |
正 解 →正 解 |
12人 |
↑ |
不正解 →正 解 |
7人 |
→ |
不正解 →不正解 |
4人 |
↓ |
正 解 →不正解 |
2人 |
これまでの結果を総合すると
@ 前後関係は比較的わかりやすい。
A 位置関係の左右がもっとも難しく、3年生でも4年生でも難しい。
B 見た景色はかけるようになるが、それを基にして立体的な絵を描くことは難しい。
【真上から見た景色をかいた結果】
みたままの景色
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正しい景色
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この位置からの図は、基本的に見ている位置の景色ですから左右の間違いはありませんでした。上から下を見る場合、ほとんどは斜め下の景色を見ているわけで、真下をみた経験はまずありません。ですから、見ている絵をかいている児童と斜め上からみた景色をかいている児童がいます。また、少し奥にある灰色の山は丸くかけているのに、手前の山を横から見ているようにかいている児童もいます。実際にみている景色の方は強烈な印象があるのでそれをわざわざ違う角度からの景色にかきなおすことには意識の変換が必要なのでしょうか。
見た景色をかいていた児童の半数は上から見た景色をかけるようになりましたが、他の景色をかいていた児童はほとんど変化がありませんでした。
斜め上から見た景色をかいた児童の作品
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変化の形態
(両学年に在籍した者 のみ)
正 解 →正 解 10 人
不正解 →正 解 5 人
不正解 →不正解 8 人
正 解 →不正解 3 人
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【総合考察】
三年生の地図の学習では、主に上から見た景色の調査が参考になると思います。
三年生の最初に「鳥に乗って地域をみてみましょう」という働きかけはあまり正しくないように思います。大人にとっては簡単なようでも子どもにとってはとても難しいことなのです。
また、上から見た絵地図が子どもの描画の能力などを考えてみるとかえって難しいように思います。記号か四角で「おみせやさん」とか「こうばん」と記録した方が簡単だと思います。その方が地図の学習にとっては必要なことかもしれません。
(地図学習こうすればどうだろ)
@ 大まかな道路地図に四角程度の図を書かせ、そこに内容を書き込む。(歩きながら景色と地図上の道路とを対比させる学習)
A 所々で学校の位置や方向を確認させ、地図上に矢印をかかせる。(違う位置から見える景色を想像する学習)
B 学区の学習が終わったら、遠足や社会見学などのときには地下鉄ではなくバスや鉄道を使うようにつとめ、名古屋市内の地図と対比しながら見学させる。(地図上の道路と景色を対比させる学習)
C 市内見学でも時々学校の位置を確認させる。
D 外が見えるエレベーターに乗って、景色の変化の様子を経験させたり、スケッチさせたりする。
(視点が移動するとき何が変化するのかを考えさせる学習)
(月の満ち欠けの学習はどうしたらよいか)
この調査でも明らかなように、見る角度を変えたときの左右を確定することがとても難しいと言うことです。さらに、月は、形が変わるのですから、推論させるだけでは困難でしょう。
また、この調査したときに感じたことですが、山の全体を見たことがない児童にとって角度によってどう見えるかを考えることは想像でしかないのです。月の学習を考えるとき、子どもは本当に月の形をたくさん見たことがあるかどうかでずいぶん変わってきます。私の家は大正時代の建物(90年ほど前の建物)なので風呂やトイレが外にあります。ですから、毎日夜外にでました。その気になれば月も星もよく見えました。しかし、今の子どもたちはそうした自然の状況で空を見上げることはまずないでしょう。
こうしてみると、次の点に留意して学習を構成することが必要だと思います。
@ 月の観察を1ヶ月行う。(考えてみれば当たり前)
A ボールの片面を黄色に塗ったものを角度を変えて、スケッチをする。(現在は暗室で片方にライトを当てているが、境界がはっきりしない。むしろ、はっきりと色を塗ってまず、見る角度と形を認識することが必要である。)
B 月を望遠鏡で観察し、光が当たっていることを実感する。
(14年度からの新しい理科学習では)
平成14年度から、月の学習は4年生に移ります。(降りてくる)そして、月の動きだけが学習の対象となり、月の満ち欠けはなくなります。5年生でも難しいのですから月の形に関する学習がなくなるのは当然でしょう。
しかし、理科の学習全体を通して、現象を見せることのみが重視されているのはいかがなものでしょうか。「詰め込み教育」への反省が「現象を見せる教育」というのは納得がいきません。いわゆる科学的思考や能力を育てることはどこへ行ってしまったんでしょうか。この調査でもわかるように、子どもの能力は、放任しておいて育つものではありません。視点を変えてみる能力は、工夫すれば教科学習の中で十分育つと思います。(Aを参照)