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1876-1900


   出来事 備考
1876
  
  

9/15

ベルリンにて生誕
  
1881
  
4歳

家族でチューリンゲンのタール村に保養
  
1883
  
6歳 
  
ベルリン・フリードリッヒ人文高等学校付属初等科入学
  
  
母についてピアノを習い始める
  
1884
  
8歳
  
ピアニスト、コンラート・カイザーにつく
  
  
ベルリン王立歌劇場の楽長ロバート・ラーデケを訪問
  
1885
  
9歳
  
ベルリンのシュテルン音楽院入学。作曲法と読譜法を音楽院の院長ローベルト・ラデッケに、ピアノをハインリッヒ・エールリッヒに学ぶ
  
 
家族でシュテークリッツ通りに引越し
 
1886
  
10歳
  
アスカン高等学校入学
  
 
初のピアノリサイタルを開く
  
1889
  
13歳

3/15

BPOとベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番第1楽章を演奏
 
  
ビューロー・BPOの演奏会を聞きピアニストから指揮者になろうと決心
  
1890
  
14歳

2/12

BPOポピュラーコンサートでデビュー,、バッハ「イタリア協奏曲」ショパン「ロ長調変奏曲」モシュレス「変ホ長調協奏曲」
 
3/24
BPOとメンデルスゾーン/華麗なカプリッチョを演奏
  
ファルク実科高等学校5年生に転入
  
1891
  
15歳
  
ファルク実科高等学校中退
  
    
自作の管弦楽伴奏の合唱曲を音楽院公開コンクールのさいBPOを指揮する
   
   
バイロイトにてレーヴェ指揮「パルシファル」「トリスタン」モットル指揮「オランダ人」を聞く
  
  
ピアノの個人教授や歌手の下稽古、演奏会等をする
  
  
ヘッペルのオペラ「アグネス・ベルンアウアー」の作曲をする第ニ幕まで完成第三幕の部分的スケッチまでで終わる
  
1891〜2
  
  
  
バイロイト奨学金を受ける
  
1892
 
16歳

12月

チャリティコンサートで歌手の伴奏をつとめる
 
1893
  
17歳

3/18

イェニー・マイヤーに献呈した「合唱とオーケストラのための『静かな海と楽しい航海』(ゲーテの詞による)」を

ベルリンフィルで上演
ジングアカデミーホール

9/1

ケルン市立歌劇場の練習指揮者となる
  
12/16
カールライネッケ音楽祭
ケルン
1894
  
18歳
3/21・24
初めてのオペラ指揮 ロルツィング「刀鍛冶」でデビュー
ケルン
8/末
ハンブルグ国立歌劇場と契約、そこでマーラーと出会う
  
  
マーラーより「ヘンゼルとグレーテル」のピアノ伴奏者に飛び入りでやらされる、その後合唱指揮も務める
  
  
代役でマスカーニ「カヴァレリア」を指揮する、この後ロルツィング「ロシア皇帝と大工」「ウンディーネ」「ふたりの狩人」フロトー「マルタ」などの軽歌劇を振るようになる
  
1895
  
19歳

ハンブルグ国立歌劇場の副指揮者となる
  

9/13

マルシュナー生誕100年祭でハンブルグ国立歌劇場で「ハンス・ハイリンク」第三幕を指揮、歌曲のピアノ伴奏も実施

10/4
ハンブルグ国立歌劇場で「アイーダ」を指揮
10/6
ハンブルグ国立歌劇場で「イル・トロヴァトーレ」「道化師」を指揮
10/8
マルシュナー生誕100年祭でハンブルグ国立歌劇場で「ハンス・ハイリンク」第三幕を指揮、歌曲のピアノ伴奏も実施 アルトナー市立歌劇場
10/14
ハンブルグ国立歌劇場で「リゴレット」を指揮

11/21

ハンブルグ国立歌劇場で「アイーダ」を指揮
 

12/13

マーラーの#2の初演に立ち会う
ベルリン
1896
  
20歳

2月

マーラー一家の勧めで姓をシュレージンガからワルターに変える事を決心する
 
  
ハンブルグ国立歌劇場の正式の楽長となる
  
 
歌曲を完成(Allerseelen(Hermann von Gilm) for Alto and Orchestra)
ハンブルグ
4/30
ハンブルグ国立歌劇場でオッフェンバック/オペラコミック「フォルチュニオの歌」を指揮

7/16〜

マーラーとザルツカンマーグートのアッター湖畔で過ごす
 
 
マーラーの勧めでプレスラウ市立歌劇場の第2指揮者となる

10/3
プレスラウ市立歌劇場で「トゥーランドット」を指揮
10/7
プレスラウ市立歌劇場でロルツィング「刀鍛冶」を指揮

10/18
プレスラウ市立歌劇場で「魔笛」を指揮

10/24
プレスラウ市立歌劇場で「魔弾の射手」を指揮
10/
プレスラウ市立歌劇場でロルツィング「二人の狩人」を指揮

11/1

プレスラウ市立歌劇場で「ルクレツィア・ボルジア」を指揮

11/6
プレスラウ市立歌劇場で「魔笛」を指揮

11/21

プレスラウ市立歌劇場でグノー「ファウスト(マルガレーテ)」を指揮

11/24
プレスラウ市立歌劇場で「魔笛」を指揮

11/30

プレスラウ市立歌劇場で「さまよえるオランダ人」を指揮
 

12/1

プレスラウ市立歌劇場でカール・ゴルトマルクの「炉辺のこおろぎ」を指揮
 

12/3

プレスラウ市立歌劇場で「マイスタージンガー」を指揮
 

12/14

プレスラウのローべ劇場でシュニッツラーの芝居「野獣」を観る
 

12/26

プレスラウ市立歌劇場で「ヘンゼルとグレーテル」「炉辺のコオロギ」を指揮

1897
  
21歳

1/16

プレスラウ市立歌劇場で「魔笛」を指揮
 

1/20

プレスラウ市立歌劇場で「炉辺のこおろぎ」を指揮
 

1/22

プレスラウ市立歌劇場でグノーの「ファウスト」を指揮
 

2/10

プレスラウ市立歌劇場で「ジャミレ」・「カヴァレリア・ルスティカーナ」を指揮

2/16

プレスラウ市立歌劇場でフロートの「マルタ」を指揮

3/23
ルイス・バウアーのリサイタルで自身の歌曲「おしまい」op-11を披露

プレスラウ市立歌劇場を辞任


プレスラウ市立歌劇場を辞任後、生活費をマーラーから100マルク/月送金してらうようになる

8〜9月
マーラーの指示により、ベルリン王立歌劇場のエルンスト・クラウスを訪ねウィーン宮廷歌劇場に来るか話に行く

9/19
初めてウィーンを訪れ宮廷歌劇場で「売られた花嫁」を見る、ウィーンのマーラーの家に滞在
 
9/20
ブルク劇場で「ハムレット」を見る
 
9/21
宮廷歌劇場でロルツィング「ロシア皇帝と大工」を見る

9/22
宮廷歌劇場でマーラー指揮の「ワルキューレ」を見る

9/23
宮廷歌劇場で「さまよえるオランダ人」を見る

プレスブルグ市立歌劇場の首席楽長となる(4ヶ月)
ハンガリー 
 10/
プレスブルグ市立歌劇場でレオンカヴァッロの「ラ・ボエーム」を初演
  
10/
プレスブルグ市立歌劇場でレオンカヴァッロの「道化師」を指揮

11/
プレスブルグ市立歌劇場でビゼーの「ジャミレ」を指揮

1898

  
22歳
2月
ティミショアラの歌劇場と契約(2ヶ月)
  

  

リガ市立歌劇場の首席楽長となる
  

 

ロシア国立音楽院の一級教員の職につき毎週4時間の授業をする
 
9/2
リガ市立歌劇場で「フィデリオ」を指揮
 
9/4
リガ市立歌劇場でトマの「ミニョン」を指揮
 
9/7
リガ市立歌劇場で「タンホイザー」を指揮
 
10月
マーラーから1900年のシーズンからウィーン帝室歌劇場の楽長を引き継いで欲しい申し出があるが、これを断り一時期気まずい感情が生ずる
  
11月
室内楽演奏会で「クロイツェルソナタ」の伴奏をする
 
12月
ニコラ・スピネッリの「ア・バッソ・ポルト」をリガ初演
 

12/24

ソプラノ歌手エルザと婚約
  
1899
  
23歳

プフィツナーと知り合う
  

リガ市立歌劇場でダンドラーデスを客演歌手に迎え「ドン・ジョヴァンニ」を指揮
 
8/21
リガ市立歌劇場で「魔弾の射手」を指揮

10/21
リガ市立歌劇場で「ローエングリーン」を指揮

1900
  
24歳
2/4
リガ市立歌劇場で「エフゲニー・オネーギン」を指揮

  
ベルリン歌劇場とプロイセン王室楽長の契約
  

ベルリン王立オペラでビゼの歌劇「カルメン」を代役で指揮


ベルリン王立オペラでウェーバーの歌劇「魔弾の射手」を指揮

  
ベルリン王立オペラでワーグナーの楽劇「ジークフリート」を指揮
  

3/16

ベルリン王立オペラでジークフリート・ヴァーグナーの歌劇「熊の皮を着た男」をベルリン初演
 
3/17
コージマにヴェルディの話をし激怒させる
4/30
リガ市立歌劇場で任期終りのコンサートで自作の歌曲を6曲演奏

6/11

ウィーンでマーラーと会い、ウィーン帝室歌劇場に移る話し合いをする
 
10月
ベルリン王立オペラで歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」指揮
11/8
ベルリン王立オペラでウェーバーの歌劇「アブ・ハッサン」をベルリン初演

11/13

ベルリン・トンキュストラ管弦楽団を指揮

11/15
ベルリン王立オペラでウェーバーの歌劇「アブ・ハッサン」を指揮

12/19

王立オペラでプフィツナーの歌劇「哀れなハインリヒ」をベルリン初演
 

BPOと「カルメン」の3つの間奏曲を録音これが初の録音となるが詳細一切不明録音も残っていない