アラ ヤッチク サッサイ
私が一寸出て べんこそなけれど
わたしゃ郡上の 山中家に住めば
おみかけどうりの 若輩なれば
声も立たぬがよ 文句やも下手よ
下手ながらも 一ッは口説く
口説くに先立ち 頼みがござる
とにかくお寺は 檀家衆がたより
やせ畑作りは こやしがたより
村の娘達ゃ 若い衆がたより
そして叉若い衆は 娘さんがたより
下手な音頭取りゃ おはやしたより
やっちくやっちくさと おはやしたのむ
調子が揃えば 文句やにかかる
これは過ぎにし其の物語り
聞くも哀れな義民の話
時は宝暦五年の春よ
所は濃州郡上の藩に
領地三万八千石の
其名金森出雲の守は
時の幕府のお奏者役で
派手な勤めに其の身を忘れ
すべて政治は家老に任せ
今日も明日もと栄華に耽る
金が敵か浮世の習い
お国家老の粥川仁兵衛
お江戸家老と心を合せ
茲に悪事の企ていたす
哀れなるかな民百姓は
あれもかれもと課税が殖える
分けて年貢の取立こそは
いやが上にも厳しい詮議
下の難儀は一方ならず
かかる難儀に甚助殿は
上の噂をしたとの科で
直ぐに捕らわれ水牢の責め苦
責めた揚句が穀見ヶ原で
哀れなるかな仕置ときまる
かくして苦しむ百姓衆を
見るに見兼ねて名主の者が
名をば連ねて願い出すれど
叶うどころか詮議は荒く
火責め水責め算盤責めに
悶え苦しむ七十と余人
うえ死する者日に増すばかり
も早堪忍これ迄なりと
誰が出したかよ回状が廻る
廻る回状が何よと問えば
北濃一なるアノ那留ヶ野に
心ある衆は皆集まれと
事の次第が記して御座る
時が来たかよ三千余人
莚旗やら竹槍さげて
百姓ばかりが雲霞の如く
既にお城へ寄せんず時に
マッタマッタと人押し分けて
中に立ったのは明方村の
気良じゃ名主の総代勤め
人に知られた善右衛門殿で
江戸に下りて将軍様に
直訴籠訴を致さんものと
皆に計れば大勢の衆が
われもわれもと心は一つ
わけて気強い三十と余人
道の難所と日数を重ね。
やがて着いたが品川表
されど哀れや御用の縄は
疲れ果てたる其の人々を
一人残らず獄舎に繋ぐ
一人残らず獄舎に繋ぐ
下手で長いこた 先生やに御無礼
やめろやめろの 声なきうちに
ここらあたりで 切り止めまする