クロアチア旅行記

クロアチア旅行記 (2018年)


1.クロアチアってどこ?




夏の旅行先を決めたのは嫁さんなのですが、クロアチアってどこなのか、漠然と旧ユーゴスラビアでバルカン半島の根部ぐらいのことしかイメージがありませんでした。地図をよく見ると分かると思いますが、オーストリアやハンガリーの南側で、イタリア半島から見てアドリア海を挟んだ反対側、といった感じの場所です。

総人口は440万人で、人口120万人の首都ザグレブと人口35万人のスプリトで、全体の半分を占めています。旧ユーゴスラビアが分裂し、1991〜1995年のクロアチア紛争の末に独立した国で、まだ20年ちょっとしか経っていないので、町の中にはセルビアとの戦争の傷跡がいたるところに残っています。ただ、今は平和な国で、観光資源が豊富なために、人工440万人の国に年間1200万人の観光客が訪れるようになっています。

表はヨーロッパ主要都市と首都ザグレブとの直線距離を示していますが、ヨーロッパの地理的な距離というのは、日本の都市間の距離に比べると、何だか近い感じですね。首都ザグレブからオーストリアのウイーン、イタリアのベネチア、ハンガリーのブダペストまでの距離は、だいたい東京ー名古屋間ぐらいの距離、ドイツのミュンヘンまででも東京ー大阪間と大差ないです。そもそもヨーロッパって、パリ−ロンドン間だって東京−大阪間より近いんですしね。

主要都市とザグレブとの直線距離、日本との比較
 ウイーン〜  ザグレブ 268km
 ベネチア〜 288km
 ブダペスト〜 300km
 ミュンヘン〜 423km
 名古屋〜  東京 263km
 大阪〜 401km

2.ドバイ経由でザグレブへ


名古屋駅から関西国際空港直行バスにのり、関西国際空港からドバイで乗り換えてザグレブまで、飛行時間は10時間+6時間と結構かかりました。そもそも、飛行機の中で2泊、実質4泊7日というハードなスケジュールです。
ザグレブ国際空港は、名古屋空港よりも簡素な建物ですが、シンプルで分かりやすい構造でした。クロアチアはEUに加盟していますが、まだ通貨はユーロではなくクーナで、1クーナが17円ぐらいです。つい先日のサッカー・ワールドカップで、クロアチアが準優勝しましたが、まだ興奮冷めやらぬ状態なのか、クロアチア・サッカーチームの赤白チェック模様のユニフォームを着ている人も、街角でたくさん見かけました。
さっそく空港からバスで出発しましたが、途中にクロアチア独立戦争博物館がありました。戦車や装甲車、戦闘機などが屋外に展示され、周りの建物も、砲撃の跡がそのまま残されています。クロアチア紛争は23年に終結したばかりですから、まだクロアチア人には記憶に新しいのでしょう。夕方にはプリトヴィッツェ湖群国立公園に到着し、その中にあるコテージで宿泊です。

3、プリトヴィッツェ湖群国立公園


プリトヴィッツェ湖群国立公園は、クロアチアで最も有名な観光名所で、滝と湖がとても美しいところです。バルカン半島付近の山は石灰岩でできており、それが溶けて再び析出した石灰華が沈殿し、川をせき止めて湖と滝を作っている構造となっています。日本にはありえない不思議な光景ですが、ちょっとした角度でブルーとグリーンに絶え間なく変化する湖面が、森の緑とともにとても美しいです。

クロアチアも異常気象でとても暑かったらしいのですが、せいぜい30〜32℃程度で、乾燥気候もあり、湖と滝の周りをかなり歩きましたが、それほど暑い感じはしませんでした。途中で船に乗りましたが、湖の透明度はすごく高く、マスが泳いでいるのがよく見えました。
昼食はマス料理を食べ、その後、クロアチアの中で最も南に位置するドブロブニクへ向かって、バスの長旅です。窓から見ていると、このあたりの山は石灰岩なので、上の方は雪が積もっているわけではないのに、何だか白っぽいです。そして、ドブロブニクに近付くにつれアドリア海がときどき見えてきます。

4.ドブロブニク


ドブロブニクに宿泊し、翌日の午前中は、ドブロブニクの旧市街巡りです。ドブロブニクはローマ時代から貿易によって大きく栄えた港湾都市で、ベネチア(ハプスブルグ家)、東ローマ帝国、オスマン帝国、オーストリアーハンガリーなど、いろいろな周辺国の攻撃を巧みな外交術でのがれてきました。ドブロブニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれている美しい都市ですが、都市国家としての政治的な力も、長い間持っていたのだろうと思います。

旧市街は、クロアチア紛争でかなり破壊されたらしいのですが、現在では大部分の街並みが修復されています。旧市街の周囲には、ぐるっと背の高い城壁が取り囲んでおり、オスマン帝国などの侵略を防いできたのですが、20世紀末の戦闘機による空爆には、まったく無力だったということなのでしょう。
旧市街の観光スポットを回った後、裏山に当たるスルジ山にロープウエイで上りましたが、アドリア海とともに街全体が見渡せ、素晴らしい眺めです。下りてきた後、旧市街を囲んでいる城壁の上を歩きました。

5.ボスニア・ヘルツェゴビナ


午後からは、バスで次の目的地のスプリトに向けて出発です。最初に書いたように、オーストリア、ハンガリー、イタリアの主要都市と首都ザグレブとの距離は、東京名古屋間ぐらいですし、ドイツのミュンヘンだって東京大阪間ぐらいの距離です。クロアチアは観光で頑張っている国であり、8月の観光シーズンに高速道路を走っている車は、8割方が外国ナンバーの車で、クロアチアナンバーの車は少しだけです。皆、バカンスに来た外国人なんでしょうね。日本から出かけるのと、距離的な感覚が全然違うでしょうから。
ドブロブニクは、クロアチア国土の大部分を占める地域と、地面が繋がっておらず、飛び地状態となっています。たった9kmだけなのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナを通らないと行き来ができません。

当然、出国と入国で国境を2度通過しないといけないので、結構面倒です。ただ、国境監視員の人も観光客は大目に見ているのか、運転手と数秒間話をしただけで、そのまま通してくれました。
そのわずかなボスニア・ヘルツェゴビナの間に、ネウムという小さな町があります。ここは、外国の観光客がいっぱい通るところで、観光地のクロアチアより物価がずっと安いため、スーパーなどはとても繁盛しています。本来のボスニア・ヘルツェゴビナの通貨はマルカですが、ここではユーロ、ドル、クーナなどいろいろな通貨がOKです。
私も、ここで音楽CDを5枚ほど買い込みました。嫁さんは、クロアチアのお土産でベゲタという調味料をいっぱい買いました。ベゲタは、塩に香辛料と粉末乾燥野菜を混ぜたようなもので、とてもおいしいと評判だそうです。夜になって、やっとスプリトの宿に到着しました。

6.スプリトとトロギール


スプリトは、古代ギリシアの植民地に始まり、ローマ時代にはローマの属州となっていました。3世紀末のローマ皇帝ディオクレティアヌスは、スプリトのすぐ近くの町サロナの出身で、皇帝を引退したのち、このスプリトに引退後用の宮殿を作らせ、そこで10年くらい過ごした後に亡くなりました。その後、宮殿は廃墟になっていたようですが、7世紀に、スラブ人やアヴァール人がこの地域に侵入してくると、周辺にいたラテン人(ローマ帝国系)はこの宮殿跡に逃げ込んで敵を追い払い、そこに住み着くようになりました。それがだんだん大きな町になり、現在ではクロアチア第2の都市となっているわけです。

宮殿跡地というところを回りましたが、ローマ風の骨格にいろいろな様式の建物がごっちゃになって混在し、歴史遺産にそのまま本屋、レストラン、ブティックなどが増築されていて、本当にこんなでいいのかという感じです。まあ、歴史より現実の方が大切ということなのでしょう。
その後、スプリトから30kmばかり離れたトロギールという町にバスで移動です。トロギールもギリシア、ローマ、ベネチアと2000年以上も栄えてきた植民都市で、城、塔、住居、宮殿などは、ロマネスクからゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな様式の建物が並んでいます。素晴らしいの一言に尽きるのですが、この様式の混在は、この町が長い間栄えてきたということを物語っているのでしょう。トロギール観光を済ませた後、首都ザグレブにバスで移動です。

7.ザグレブ


あっという間に最後に日になりましたが、首都ザグレブの観光です。ザグレブは、これまで回ったアドリア海沿いの観光地と違って内陸部にあり、交通の要衝として発展した町です。
まず、市中心部のイェラチッチ広場に行き、そこから歩いてあちこち回りました。イェラチッチは、ハンガリーからの独立運動を指揮した英雄だそうです。そこから歩いて5分くらいのところに、ドラツ市場があります。野菜や食品類を売っている屋外の市場ですが、観光客用の小物も売っていました。

丘の上に登って行くと、ザグレブ大聖堂がそびえたっています。残念ながら現在は修復工事中でしたが、すごい迫力です。失恋博物館やナイーブアート美術館の横を通って進んで行くと聖マルコ教会がありました。13世紀に建てられた教会ですが、19世紀にネオゴシック様式で修復され、その時に屋根にタイルで模様が付けられました。この屋根のモザイク模様はとても面白いですが、600年前の建物を修復するときにここまでやっちゃうとはすごいです。左がクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニア地方を表す紋章、右側はグラデッツの紋章だそうです。

8.帰途


帰りは、行きと同じようにエミレーツ航空で、ドバイを経由し関西国際空港着、バスで名古屋駅。名古屋駅には金曜日の23時着で、土曜日は朝から仕事というハードスケジュールです。
飛行機はアラブ系のエミレーツ航空なので、機内のビデオにアラブ映画、アラブ音楽がいっぱいで、とても楽しめました。インドで作っているアラブ映画とか、パキスタン映画なんていうジャンルもあるんですね。言語はアラビア語ですが、多くは英語の字幕が出ているので、だいたい分かります。エジプト音楽のビデオを見ていて、民俗楽器のカワラがとても気に入り、帰ってからアマゾンで買ってしまいました。