モスクワとdサンクトペテルブルグの旅行記

モスクワとサンクトペテルブルグの旅行記 (2016年)


1.ロシア出発とキリル文字


ロシアで心配なのは、言葉ですね。英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語のあたりは、意味が分からなくても何となく読めますが、キリル文字とかいうギリシア文字とラテン文字の混じったようなものは、とにかく読めないので不安です。そこで出発前に一夜漬けで勉強しました。すると、パターンさえ分かれば、読むだけなら大したことがないですね。р(エル)はR、с(エス)はS、п(ペー)はP、н(エヌ)はN、и(イー)はIぐらいが頭に入れば、じっとにらんでいると見えてきます。ресторанはRESTORAN、стопはSTOP、таксиはTAKSIという風で、ヨーロッパ言語と大差ないようです。



お盆休みの家族旅行は、暑いところより涼しいところがいいなという意見で、今年はロシア旅行に決まりました。ロシアといえば、ソビエト連邦の時代やプーチンのイメージがあって、何となく怖い感じもありましたが、自由行動無しの完全パックツアーで申し込んだので、まあ大丈夫でしょう。

飛行機は大韓航空で、8月10日の朝早く出発、ソウルの仁川空港で乗り換えて、モスクワには現地時間(時差6時間)の夜遅くに着きました。

2.セルギエフ・ポサード観光


ロシア1日目の午前中は、セルギエフ・ポサードというロシア正教の中で最も重要な修道院がある町の観光です。モスクワから北東へ70kmいったところにある町は世界遺産にもなっていて、門をくぐると修道院や聖堂が数え切れないぐらい並んでいます。この中でも、至聖三者聖セルギイ大修道院(トロイツェ・セルギエフ大修道院)というのが一番メインなのだそうですが、それ以外にどちらを向いてもタマネギ型のドームを持った建物が立ち並んで、まるでおとぎの国に来たような感じです。

この「至聖三者」という聞き慣れない言葉ですが、カトリックやプロテスタントで「三位一体」と言っているのとほぼ同じものです。ただ、微妙には違うことと、日本の正教会が「至聖三者」という訳語を使っていることから、聞き慣れない言葉になっているようです。ウスペンスキー大聖堂だって正しくは生神女就寝大聖堂だし、まあ宗教用語ですから、安易には妥協できないのでしょうね。

3.赤の広場と聖ワシリー大聖堂


昼ごはん(キエフ風カツレツ)を食べた後、モスクワに帰り、次は赤の広場の観光です。赤の広場は、ソビエト連邦時代には盛大な軍事パレードが行われたところでもあり、レーニン廟もあるし、特に危なそうなイメージがありました。しかし、「赤」は社会主義とは関係なくて数百年前から「赤の広場」という名前なのだそうです。「赤の」はもともとロシア語で「美しい」を意味する言葉だと聞いて一安心。広場には露店が立ち並び、観光客だけでなく一般の子連れのモスクワ市民もたくさん遊びに来ています。

赤の広場を挟んだクレムリンの城壁の反対側には、グム百貨店という帝政ロシア時代に建てられた大きな建物がありました。その前にある花壇はとてもきれいですし、百貨店の中には噴水もあって、イオンモール(もちろん石造り)のような構造になっていて、とても楽しい雰囲気になっています。ただ、店は高級ブランド店ばかりで、通路には人が溢れているのに、どの店も客はほとんどいません。

赤の広場をずっと歩いて行くと、聖ワシリー大聖堂に到達します。これはイワン4世がテュルク系のカザン国に勝利したのを記念して16世紀半ばに建てたものだそうですが、16世紀半ばと言えば日本では織田信長の頃ですからすごいですね。

この大聖堂をはじめとして、ロシア正教会の古い聖堂は、皆タマネギ型のドームを持っています。僕自身は、このタマネギ型のドームは、アラビアンナイトに出てくるようなイスラム系のお城をイメージしていたのですが、そうではなくてロシア正教の聖堂の建築様式だったのですね。確かにインドのタージマハルなど、イスラム建築もタマネギ型ドームを持った建物がありますが、調べてみるとほとんどは半球状でした。

赤の広場のあとは、アルバート通りという繁華街の歩行者天国に出かけました。ただ、お土産店に混じって、マクドナルド、スターバックス、サブウェイなどアメリカ資本の店が立ち並び、地元の人は面白いかもしれないけど、こちらはあまり面白い感じでもなかったので、角にあるスーパーマーケットをうろうろしていました。すると、後ろから声をかける人がいるではありませんか。びっくりして振り向くと、そこには知り合いの佐藤宏先生がいました。名古屋から7400kmも離れたモスクワのスーパーマーケットで、知り合いに会うとは思いもしませんでした。地球って狭いですね。

4.クレムリン


ロシア2日目の午前中は、クレムリンの観光です。クレムリンというと共産党本部や大統領府しか思い浮かびませんでしたが、クレムリンはロシア語で「城塞」の意味で、城壁(長さ2.2km)に囲まれた宮殿・聖堂群をさしているのですね。武器庫という名前の宝物殿を2時間ぐらいかけて見学、そのあとはクレムリン内の宮殿・聖堂めぐりです。

聖堂の中では、歴代ロシア皇帝の戴冠式が行われ、現在でもロシア大統領の就任式が行われるウスペンスキー大聖堂が、最も権威が高いそうです。他にも本当にたくさんの聖堂がありましたが、写真はブラゴヴェシェンスキー大聖堂。皇帝や皇后の私的な礼拝所ですが、ちょっと小ぶりで、とてもしゃれた感じが素晴らしいですね。

もちろんロシアの大統領府やプーチンの執務室がある大統領官邸もありました。さすがに大統領官邸は警備が厳重で、見上げると、宮殿や聖堂の上に、官邸方向に向けたの監視カメラがたくさん付いています。黒い覆面パトのような車がクレムリンの中をぐるぐる回っていますし、やや危ない雰囲気もありましたが、特に大統領官邸の写真を撮っても、問題はありませんでした。ただ、入り口に近づいたりしたら、やっぱりやばいでしょうね。

5.ロシア新幹線


午後はサンクトペテルブルグへの移動で、サプサン号というロシア新幹線に乗りました。サプサン(Сапсан、ちょっとキリル文字にも慣れてきました)はロシア語でハヤブサの意味で、モスクワ−サンクトペテルブルグ間650kmを3時間半で結んでいます。ドイツのシーメンス社製造で時速300kmまで出るそうですが、列車内の表示ではだいたい時速200kmちょっとで走っていました。

警備はやや厳しく、駅に入るときには空港の搭乗口に入るときと同じようなセキュリティチェックを受け、電車の入り口ではパスポートを提示しないといけません。ただ、乗ってしまえば快適で、横揺れは日本の新幹線よりも少ないくらいです。まあ、地図で見ると平原を650km、2つの都市をほぼ一直線に結んでおり、日本とはレールの状況が全然違います。

6.ピョートル大帝の夏の離宮とエカテリーナ宮殿


ロシア3日目の午前は、まずピョートル大帝の夏の離宮の観光です。夏の離宮は、ペテルゴフというサンクトペテルブルグから西に30km離れたフィンランド湾に面した風光明媚な場所にあります。避暑用の離宮ですが、大きな宮殿がいくつもあり、さらにとても広い庭園があって、全部で150個以上の噴水が庭園のいたるところにあります。

1700年頃に作られたたくさんの噴水は、水源地からの落差を利用して水を出しているそうで、200年以上、配管の掃除だけで24時間水が出続けているというのは、すごいことです。執務用の宮殿は、パリのベルサイユ宮殿をモデルにして作られただけあってとても立派ですが、ピョートル大帝の住んでいた建物は、装飾の少ないシンプルな作りです。庭園全体の眺めとのバランスは素晴らしく、ピョートル大帝のセンスをうかがわせます。

昼食後、今度はサンクトペテルブルグから南東25kmのところにあるエカテリーナ宮殿に行きました。この建物は、ピョートル大帝の皇后で後にロシア皇帝となったエカテリーナが、最初夏の避暑用の宮殿として建てたものでしたが、その娘で後にロシア皇帝になったエリザヴェータが、それを全面的に改築しました。以後、ずっとロマノフ王朝の夏の宮殿として使われてきました。

すごく規模の大きい宮殿で、中をぐるっと回るだけで2時間ぐらいかかりました。第二次世界大戦のときにドイツ軍が焼き討ちを行ったため、まだ修復されていない部屋もありましたが、きらびやかな装飾の施された大広間が数え切れないほどあります。こんなすごい宮殿が夏と冬と別々にあって、しかも離宮まであるなんて、ロシア皇帝はすごくお金持ちなんですね。西ヨーロッパのどの国よりも、すごいと思いました。

7.バレエ鑑賞


夜は、待望のバレエ鑑賞です。場所はアレクサンドリンスキー劇場というところで、サンクトペテルブルグではマリインスキー劇場に次いで大きな劇場です。演目はチャイコフスキーの「白鳥の湖」。曲自体は、CDなどで何度も聞いたことがあるし、コンサートにも行ったことがあるのですが、バレエそのものの鑑賞は初めての経験です。

劇場は1824年に建てられており、白鳥の湖は1877年に初演。これまで百数十年間、この舞台で上演されてきたものとほぼ同じものが、今日観られるというのは感慨深いことですね。

席は、前から9列目の真ん中付近という、とても良い場所でした。静かなところになるとダンサーの飛び跳ねる足音が聞こえ、またそれが、迫力というかすごい臨場感です。公演はあったいう間に終わった感じでしたが、20時半に始まったので、ホテルに帰ったのは23時を過ぎていました。

8.サンクトペテルブルグ歴史地区観光


ロシア4日目の午前は、サンクトペテルブルグの市内観光です。この日は雨降りで、最高気温16度最低気温9度と、ちょっと肌寒い気候でした。考えてみれば、サンクトペテルブルグはモスクワからでさえ650kmも北西に行ったところで、フィンランドのヘルシンキとほぼ同緯度(水平距離は約300km)です。夏は22時近くまで明るい、白夜一歩手前の都市ですから、涼しいのは当然ですね。天気が良くても、最高気温20度台前半最低気温10度台前半ぐらいです。

最初に行ったのはカザン聖堂。ここは、ロシア皇帝がローマカトリック総本山のサン・ピエトロ大聖堂をモデルにして建設を計画。ロシア正教会自体は、よその真似はいやだと言ったのですが、皇帝が押し通してしまったという話です。僕の見た感じでは、言うほど似てない気がしますけどね。完成の翌年、ナポレオンがロシア遠征にやってきましたが、ロシアはそれを撃退。このカザン聖堂は、その戦勝記念の建物となりました。

次に行ったのは血の上の教会。第12代ロシア皇帝アレクサンドル2世は、農奴解放など自由主義的な政策をとりましたが、それにもかかわらず、ナロードニキの急進的な勢力によって暗殺されました。この血の上の教会は、その暗殺された場所に建てられた教会です。

暗殺は19世紀末の話で、この頃はヨーロッパ化の波でロシア建築もバロック様式が主流でしたが、この建物は、16世紀に建てられた赤の広場の聖ワシリー大聖堂と同じ古いロシア風、つまりタマネギ型ドームがたくさんある建築様式です。

それから行ったのが聖イサーク大聖堂。ドームの高さは101.5mと、とても大きな聖堂でした。このほか、サンクトペテルブルグは、さすがロマノフ王朝が200年間もの間首都としていただけあって、歴史的な建造物が多いです。

市内をぐるっと回った後、今度は船で運河のクルーズです。ロシアの王宮(冬の宮殿)は、ネヴァ川沿いのエルミタージュ美術館の隣にありますが、そこを中心としてサンクトペテルブルグ市内中心部には、運河が張り巡らされています。運河の両岸には、古い貴族の屋敷が立ち並び、道路から見るのとはまた違った風景で、これもまた素晴らしい眺めでした。船は一度ネヴァ川まで進んでからまた運河へ引き返し、元の所に戻りました。昼食は、船着場からすぐのところでした。

9.エルミタージュ美術館


昼食後は、エルミタージュ美術館の観光です。エルミタージュ美術館と言っても、ロマノフ王朝の冬の宮殿以外に、大エルミタージュ、小エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場と、いくつもの建物が渡り廊下で結ばれており、ガイドさんがいなかったら迷子になりそうなところです。とてもスリが多いとのことで緊張していましたが、被害には合わずにすみました。

エルミタージュ美術館は、当初エカテリーナ2世がドイツから買い付けた美術品をベースとして、歴代皇帝が増やしていったものですが、ロシア革命のときに膨大な美術品を貴族から没収して収蔵したので、絵画に関しては他の美術館とは比べ物にならないほど充実しています。全収蔵品を1秒ずつで見てゆくと、夜も寝ずに見て3年かかるそうです。

他の美術館だったら目玉になるような有名な絵画が、所狭しと飾られています。監視員もいますが、あまりに広くて人数が足りないのか、ちらほらしか居ません。そのかわり、赤外線センサーが絵の上から取り付けられており、近づくと係りの人が来て怒られます。

エジプトやメソポタミアの発掘品などもあったけど、そのあたりはもう疲れてパス。約3時間(スマホの万歩計は2万2千歩)歩きっぱなしでとても疲れましたが、充実した午後となりました。

10.青銅の騎士像


写真は、エルミタージュ美術館のとなり、元老院広場にあるピョートル(Пётр、やっぱりキリル文字は難しい)大帝の騎馬像で、エカテリーナ2世の命で1782年に完成したものです。プーシキンがこの騎馬像を題材にした長編叙事詩「青銅の騎士」を発表して以来、この像自体もそう呼ばれるようになりました。

ピョートル大帝は、大北方戦争に勝利し、スウェーデンからバルト海の覇権を奪って西ヨーロッパとの交易ルートを確保し、ヨーロッパの一員としてのロシアの基礎を築いた優れた皇帝で、多くのロシア人に愛されています。ロマノフ王朝の事実上の創始者と言っても良いのでしょう。

サンクトペテルブルグは、ソ連の時代にレニングラードという名前に変わりましたが、ロシアに変わったときに住民投票が行われ、結局サンクトペテルブルグに戻りました。サンクトペテルブルグは、ピョートルの町という意味です。「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも言われていますが、サンクトペテルブルグを見て、本当にそうなんだと感じて、短い旅を終えることになりました。