世界の民俗楽器と伝統音楽 〜日本〜

世界の民俗楽器と伝統音楽 〜日本〜 R1年


1.はじめに

今回から4回のシリーズで、世界の民俗楽器と伝統音楽について紹介させて頂きます。音楽や楽器は、昔から娯楽だけでなく神事や祭りにも使われ、民族のアイデンティティーにも大きくかかわるものです。民族の大移動にも一緒についてゆき、また民族同士の交流や交易を通じて広がって行きました。今回は日本ですが、次いでトルコ・バルカン諸国・中央アジア、アラブ・北アフリカ、インドの順で紹介して行きます。民俗楽器にはたくさんの種類がありますが、私の得意な分野である笛(管楽器)と撥弦楽器(弦をはじいて弾く楽器)を中心に話を進めたいと思います。

2.雅楽

雅楽は、純粋に日本古来の音楽と思われている方も多いのでしょうが、そうではありません。飛鳥時代・奈良時代に大陸系の音楽(中国・ベトナム系の唐楽と、朝鮮・渤海系の高麗楽)が伝来し、それを貴族階級が熱心に受け入れ、しだいに上代から日本にあった音楽もそれにミックスしてゆき、そして最終的に出来上がった音楽、それが雅楽なのです。飛鳥時代・奈良時代の貴族は、大陸から来た音楽にびっくりし熱狂し、それ以前からあった日本の古い音楽も、大陸由来の音楽をベースに編曲し直しました。今で言えば、ジャズやロックにびっくりした日本人がそれを自分たちのものにし、それが普通となり、民謡までオーケストラ伴奏になっている、そんな状況と似ているのかもしれません。

ただ、演奏スピードが室町時代(応仁の乱の頃)に2〜3倍遅くなり、明治時代初期にさらに2〜3倍遅くなったと言われています。厳かな雰囲気を出すためと思われますが、トータルでは4〜9倍、信じられないほど遅くなっているわけで、奈良時代の雅楽はもっとテンポの速い軽快な音楽だっただろうと考えられています。雅楽の基となった音楽(ヤーユエ)は、中国や朝鮮ではすでに滅びてなくなってしまいましたが、ベトナムに伝わった雅楽は、宮廷音楽としてまだ健在です。ニーニャクと呼ばれるベトナムの雅楽は、日本よりずっとテンポの速い軽快な感じなので、そちらの方が日本の雅楽よりオリジナルに近いのかもしれません。

3.篳篥(ひちりき)

篳篥(ひちりき)は、雅楽では主にメロディーを担当するダブルリード系の管楽器で、フニャッとした大きな音の出る楽器です。紀元前1200年頃に中央アジアで作り出されたドゥドゥクが、中国に伝わって管子(ガンズー)となり、それが日本に伝わって篳篥となりました。現在でもドゥドゥクは、中央アジアのアルメニアではよく使われている楽器ですし、トルコではメイと呼ばれ、他にも中央アジアからバルカン半島のいろいろな国々で使われています。

奈良から平安時代には、篳篥は小篳篥(G管程度)と大篳篥(D管程度)の2つがありました。しかし、大篳篥は平安時代後期に廃れてしまい、現在では篳篥と言えば小篳篥のことを指します。ちなみに、中国の管子(D管程度)は大篳篥とほぼ同じくらいの音程で、ドゥドゥク(G管程度)は小篳篥の1オクターブくらい低い、ずっと大きくて長い楽器です。写真は上が篳篥で下がドゥドゥクですが、中央アジアからシルクロードを通って長い旅を続け、ついに日本までたどり着いた、そんな長い歴史が感じられますね。

4.笛(龍笛・高麗笛・神楽笛・能管・篠笛)

現在でも雅楽で使われている龍笛・高麗笛・神楽笛は、おそらく飛鳥・奈良時代に大陸から伝わったものでしょう。伝わった元を反映しているのか、龍笛は左方舞(中国南部・ベトナム系の歌舞)に、高麗笛は右方舞(中国北部・朝鮮系の歌舞)に、神楽笛は国風歌舞(日本古来の歌舞)にと、同じ雅楽でも使い分けられており、音程も少し違います。

写真の一番上が龍笛(D管程度)、2番目が神楽笛(C管程度)で、高麗笛(E管程度)は写真にはありませんが、龍笛をずっと細身にしたような感じの笛です。ただ、国風歌舞(日本古来の歌舞)に使われる神楽笛は、大和笛という名前で雅楽以前の時代からあったとも言われており、古墳からは笛らしき遺物も出土しています。日本の笛の起源は雅楽よりもっと古い可能性もあります。

これらの雅楽の笛が、田楽・猿楽などの中世芸能を通じて一般庶民にも浸透してゆき、しだいに装飾が簡素化され、江戸時代には獅子舞、祭囃子など、民間でもどんどん使われるようになってゆきました。上から4番目は江戸祭囃子の笛、5番目は間尺笛(海部郡・名古屋南部・知多北部の祭りで使用)で、古典調と呼ばれ、指孔間が均等なために音程はドレミとは少し異なります。一番下の2本は唄用と呼ばれる篠笛で、指孔の大小と指孔間隔の調整で、ピッチは正確にドレミに合っています。

能管(写真の上から3番目)は、室町期に始まった「能」で使われるちょっと毛色の違った笛です。外見的な形や寸法は一番上の龍笛に非常に近いのですが、内部構造が全く違います。上の写真は能管の製作途中ですが、唄口と指孔の間の内側に円筒形の竹を挿入することにより、内腔を部分的に狭くしています。それによって夢幻能に合った独特の音色を出すことができますが、音階はドレミとは似ても似つかぬものとなっています。世界的に見ても、このような構造を持った笛は、他に類を見ません。

また、この中国・日本の笛の大きな特徴は、内側に漆が塗ってあることです。木管楽器は、ヨーロッパ・アラブ・中央アジア・インドなど世界に多数あり、材質も木・竹・葦とさまざまですが、そのほとんどは内側に何も塗ってありません。ですから、そのまま放っておくと、カビが生えたり乾燥して割れてしまったりするので、オイリングと言って、定期的に内側に植物油(オリーブ油・アーモンドオイル・亜麻仁油など)を塗らないといけません。内側に漆が塗ってある笛は、澄んだ音、艶のある音がしますが、それと同時にオイリングの必要が無い、つまりメンテナンスフリーというところが優れた点でもあるのです。

5.琵琶

このアーモンド型の胴体に短いネックを持つ弦楽器は、紀元2世紀頃に中央アジアで作り出され、ササン朝ペルシアではバルバトと呼ばれていました。これが北魏の時代に中国に伝わると琵琶(発音はピーパ)という名前の楽器となり、唐の時代には結構メジャーな楽器で、白居易が「琵琶行」という詩を書き、楊貴妃もよく琵琶を演奏していました。そして、雅楽とともに日本まで伝来したのが日本の琵琶(ビワ)です。<上の写真は楽琵琶>

奈良時代に日本に広まった琵琶は楽琵琶と呼ばれ、平安時代には貴族の間に大きく広まって行き、源氏物語や枕草子にも登場するように、貴族にとって必須の教養のひとつとなりました。<写真は、源氏物語絵巻 宿木
楽琵琶は現在でも雅楽で用いられていますが、フレットが浅くてバチも小さく、中国や中央アジアの楽器の特徴を残しています。平安末期に始まった平家琵琶も、少し小型ですがフレット構造やバチの大きさは楽琵琶に非常に近いものです。ただ、音楽的には、次の盲僧琵琶の影響を強く受けています。

日本の琵琶には、楽琵琶とは別に、盲僧琵琶をはじめとするもうひとつの流れがあります。奈良時代の頃、盲目の僧が琵琶を伴奏に経文を唱えたのに始まり、しだいに語り・謡いを行うようになりました。これが中世になると、九州を中心に武士の教養・精神性のための音楽として発展し、薩摩琵琶、筑前琵琶となってゆきました。ただ、いずれもメインは語り・謡いで、琵琶はあくまで伴奏楽器という位置付けです。楽器自体も楽琵琶とは別ルートで中国南部から日本に伝わったのではないかと言われ、フレットがものすごく高くて数も不変か少なく、バチも大きく、楽琵琶と構造が少し違います。細かくて速い指使いよりも、弦を強く押さえ込むこと(ギターでいうチョーキング)による微妙な音程の変化を重視するようになったことによると考えられています。