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ウィーン交響楽団


ウィーン交響楽団はウィーン・コンツェルトフェライン管(WinerConcertverein)(1900/1〜1918/10/16)として設立され
その後ウィーントンキュストラ管と合併しWinerSinfonie-Orchester(1918/10/20〜1933/4/12)と名称変更し
1933/10/17から現在のウィーン交響楽団(WinerSymphoniker)となる
但し、コンツェルトフェライン管とトンキュストラ管がどのように合体してWinerSinfonie-Orchesterとして活動したか詳細不明である
演奏会記録には両団体の合同演奏として記録されてあるものもあり、その分については両団体の演奏会記録にも記述した
1935/3/20    ムジークフェラインザール
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」3部構成 HWV.56
   リア・ギンスター(S)エニド・サーントー(A)ユリウス・バツァーク(T)
   ヨーゼフ・フォン・マノヴァルダ (Bs)
   ウィーン楽友協会cho
1935/11/20    ラジオ・ウィーン(RAVAG)
ベートーヴェン/交響曲第6番
ベートーヴェン/交響曲第7番
1935/11/28、29   ウィーン・コンツェルトハウス
シェーンベルグ/「グレの歌」
   ヒルデ・コネツニ(S)ケルスティン・トルボルイ(A)ウィリアム・ウェルニク(T)
   アンドレアス・レスラー(T)パウル・ロレンツィ(Bs)
   ウィルヘルム・クリッチ(ナレータ)
   ウィーン・ジングアカデミー ウィーン・ブルックナーcho
   ウィーン・シューベルトブント男性cho
1936/5/6   ムジークフェラインザール
ベートーヴェン/「ミサ・ソレムニス」
   リア・ギンスター(S)ロゼッテ・アンダイ(A)
   コロマン・フォン・パタキー(T)ヘルマン・シェイ(Bs)
   ウィーン楽友協会cho
1936/5/15、16   ウィーン・コンツェルトハウス
マーラー/交響曲第8番変ホ長調「一千人の交響曲」
   マリア・チェボターリ(S)エリカ・ロキータ(S)エニド・サーントー(A)
   モード・ヒートン(A)クルト・バウム(T)ヘルベルト・ワルダー(Br)
   ミカエル・セーケイ(Bs)フランツ・シュッツ(Org) ウィーン・ジングアカデミー
   ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン教師アカペラ合唱団
   (ウィーン・コンツェルトハウスのDBには5/15・16となっており15日はゲネプロかと
    思われる。ウィーン交響楽団のDBには16日しか記述がない、最近の
    ウィーン交響楽団のDBには3/16となっているがこれは間違い、この時ワルターは
    アムステルダム・コンセルトヘボウの演奏会に出演している、以前のDBでは
    正しく5/16となっていた)
1936/5/22   ラジオ・ウィーン(RAVAG)
マーラー/さすらう若人の歌
   ロゼッテ・アンダイ(A)
マーラー/交響曲第9番
1936/6/17   ムジークフェラインザール
ブラームス/悲劇的序曲
ブラームス/運命の歌
   ウィーン楽友協会cho
ブラームス/哀悼の歌
   ウィーン楽友協会cho
ブラームス/アルト・ラブソディ
   マリアン・アンダーソン(A)注1 ウィーン楽友協会cho
ブラームス/交響曲第1番
(マリアン・アンダーソンはアフリカ系アメリカ人であった為、ワルターはナチスから
   殺人予告を受けた)
1936/11/27   ラジオ・ウィーン(RAVAG)
モーツァルト/交響曲第35番
ワーグナー/歌劇「タンホイザ―」より「ヴェヌスブルクの音楽」
ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」
1936/12/1・2   ムジークフェラインザール
ブラームス/「運命の歌」
   ウィーン楽友協会cho
ブラームス/「ドイツ・レクイエム」
   ヨー・フィンセント(S)アレクサンダー・スヴェド(Br)フランツ・シュッツ(Org)
   ウィーン楽友協会cho
1937/10/27   ムジークフェラインザール
モーツァルト/「レクイエム」
ブルックナー/「テ・デウム」
   エリザベス・シューマン(S)エニッド・サーントー(A)アントン・デルモタ(T)
   ハーバート・アルセン(Bs)フランツ・シュッツ(Org) ウィーン楽友協会cho
1956/7/1   エンス
モーツァルト/交響曲第36番「リンツ」
ブルックナー/交響曲第9番