私事で恐縮ですが、私自身、16世紀戦国時代に活躍した狩野上総之助種吉から数えて13代目(良雄)、俊太家の末裔に当たる子孫です。いわゆる直系の本家ではなく分家の分家ですが、間に養子は入っておらず男系でずっと続いています。そこで、なぜか家に伝わっている古文書をもとに、先祖の系譜を紐解いてみました。
不十分なところや間違いなども多々あると思います。お気づきの点がありましたら、ご連絡(kanocl@sa.starcat.ne.jp)いただけるとうれしいです。
○ 狩野家の家系図
肥後細川藩に仕えていた九州狩野家は、大きく分けると源内家・俊太家・庄馬家の3つに分かれます。
私に続く部分を中心にはしていますが、一応、源内家・俊太家・庄馬家も網羅した家系図です。
○ 初〜2代(上総助・平左衛門)
〇 3〜5代(仁右衛門・九郎太夫・才之允)俊太家本家
〇 6〜9代(幸左衛門・儀三太・勇平・壽八郎)
〇 10〜13代 (庄三郎・要・利雄・良雄)
私に続く系譜の先祖です。私は俊太家からの分家ですので、源内家・庄馬家については、源内家・俊太家・庄馬家についてのページを見て下さい。ただ、創成期の部分はいずれの家も同じです。
初〜2代は狩野家創成期の先祖、3〜5代は俊太家の始めの方の先祖、6〜9代は私につながる系譜が俊太家本家から分かれて以後の先祖、10〜13代は熊本から名古屋に移り住んだ私の曾祖父(10代)以降の部分となります。俊太家の本家については、3〜5代の後半部分に書いてあります。
〇 伊豆狩野氏、狩野派画家
〇 初代以前の歴史と名越谷
〇 九州狩野家創生期、肥後細川藩創生期
〇 源内家・俊太家・庄馬家について
〇 狩野崇山・肥後先哲偉蹟後編
狩野という苗字を聞くと、伊豆狩野氏と狩野派画家が思い出されます。初代以前の歴史については具体的なエビデンスがありませんが、狩野宗印を含め、いろいろな状況証拠を考察してみました。
肥後細川藩家臣の狩野家は大きく3家に分かれており、いずれも明治維新まで続いていましたので、ここでは、その3家について総論的な部分が書いてあります。
狩野俊太は、俊太家の最後の方に属しますが、狩野崇山という号を持つ有名な学者・教育者だったので、少し別に扱いました。その元となる文献「肥後先哲偉蹟後編」には、狩野家の歴史も少し書かれています。
○ 俊太上申書
〇 士族別居之者系図並由緒書
〇 先祖附_儀三太
〇 本家狩野平太郎由緒書
俊太上申書は文献のコピーですが、原本はどこにあるのか分かりません。狩野俊太が藩に報告(1855年)したもので、このHPデータの基本となっているものです。士族別居之者系図並由緒書は、分家部分以降の系図も書かれています。先祖附と本家狩野平太郎由緒書は、きっと本物は本家にあるのでしょう。うちのような分家にあるものはその下書き(修正稿)のようですし、内容は俊太上申書を簡略化したようなものです。